9月の札幌で気温33°の夕方 大通り公園でお花散策へ。
メインの円形花壇や公園のコンテナは 花と緑を愛する市民ボランティアさんがプロの指導の元 定期的に管理手入れをしています。 画像手前に写る赤い丸い花は”千日紅” 紫の穂状の花は”サルビア。
右手側の少し高い花は 小花が束で咲く近年人気の”ケントランツス・ルベル”紫。
噴水の先に見える大通り4丁目では 今月6日から29日まで 昨年胆振東部地震で縮小開催されたオータムフェストが グレードアップされて催されでます。
先月行った胆振地方は 道路の復旧工事中でしたが 昨年の今頃の同時刻 札幌の我が家は停電中でした。
未明の3時08分 強烈に床を突き上げるような震度5強の地震に見舞われ 直後に照明器具がバチバチと音を立てて停電。
停電は北海道全域に渡る大停電となり 郊外にある我が家の復旧は遅く 二日目になって「今夜も電気は点かないだろう」と諦めて寝ようとした矢先の夜9時 通電。
停電中の2日間は ラジオから流れる情報と音楽やアナウンサーの声が気持ちの慰めとなったので 災害に備えて各家でも 携帯ラジオの常備は必要と思います。
実は昨年のその日 私はヒーラーセミナーの受講のための東京行きを 2ヶ月前から決めていました。
それならと山下達郎さんの中野サンプラザチケットもゲットして 仙台経由で父と面会して帰ってくるつもりでした。
しかし地震があった日は 千歳からの飛行機が飛ばず 手配した宿やチケットの全てのキャンセルを スマホの限られた電源でようやく済ませました。
仕方がないこととは思いつつ 東日本大地震もリアル体験した私が 地震後の停電余波をもろに受けてしまったのです。
"人生は何が起こるか分からないことが "二回も起きる私って 何者なのでしょう・・。
そんなこんなで出鼻をくじかれた私のnext steageは 今から始まります。
気仙沼生まれの好奇心旺盛な私が 東日本大震災から8年間 ”魂の旅”をさ迷い終えたタイミングで 人生もブログも”next stage”に移行しました。
PC環境や操作に不慣れな60歳超えの私が 別ブログ10年間に綴った1500以上の記事や画像をインストールしたのですから その作業は大変でした。
ようやく「はてなブログ」に引っ越したものの 過去記事の文字化けや画像エラーも多々あるので 日々訂正・改善して行きます。
こちらのブログでは 生粋の感知能力とインテリア業で培った感性を活かし 第二の故郷・札幌で出会う”美味しいもの キラリと光る素敵なモノ 北海道の感動的な景色や心に響く場面”などを綴ります。
どうかこれからも宜しくお願いします。
by虹りんご
前記事のつづき
2011年の震災以降 気仙沼の私の同級生K氏は ここ何年か続けて道内旅行に来ています。
祖母同士が毎年一緒に湯治に行く仲だったのに 私たちは50歳を過ぎるまで お互いの存在を無視して過ごしました。
震災が起きる数年前 たまたま出席した同級会で 自分の連絡先を教えた私は「この連絡先が そのうち必要になるからね」と言ったみたいなのですが 当人の私がK氏の連絡先を無くしてしまいました。
震災発生後 地元同級生との関りが薄いK氏の安否確認のために あちこち伝手を頼って探したことがあったのですが そのときに駆り立てた想いは私自身の思いでは無く 私を守護する黄金龍神が私の身体を使って行動させたと思っています。
生存確認から数カ月後 海に一番近い地域で 多くの人の命を救ったK氏が 答えを求めて探している様子のビジョンが 遠く離れていても私にはリアルに感じられました。
・何故 気仙沼が大きな地震に見舞われて 巨大津波に襲われたのか。
・何故 自分が震災の最前線で働く役割りだったのか。
・何故 事前に気仙沼湾に押し寄せる津波の高さを察知して 指定避難場所以上の高所に 皆を誘導できたのか。
K氏の思考の混乱の答えを伝えるために 私たちは被災後の安波山山頂で再会しました。
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私 「安波山には龍神が棲んでいて 安波山の後ろ麓のK氏の土地を 長年棲家にしていたの。
何十年も前に バイパス工事のため代々の土地を手放して 工事中には発破をかけていたでしょ。
実家に帰省しても札幌に戻っても いつも夢で中で工事の進み具合を視せられて 把握していたよ。
私自身も「何故私が”バイバス工事”を視みせられるんだろうって」思っていたけど バイパスが完成して帰省した際に 車でその場所を通る度 「ここは俺の場所だった!!」の声が聴こえて不思議に思っていた。
男性の声の主の見当は付いていたけど まさか自分にも祖母と同じ能力があると思っていなかったし 信用して話ができる人もいなかったので誰にも言わなかった。
2010年12月中旬頃 バイパスが太平洋側に全面開通したニュースを聞いたとき これまでの磁場の流れが変化して龍が通ると言われる”龍脈”が変わってしまった。
そして断りもなく龍脈を替えられた龍神は戸惑っていた。
そのときの龍神の不安も伝えられていたから 私は「気仙沼に 不穏なことが起きなければ良いな」と ずっと落ち着かなかった。
結局は 後のまつりになってしまったけど・・・。
K氏の家は 龍神が棲む土地の家系だから 家内で褒美やらお咎めなど色んなことがあったと思う。
家に起きた色んなことのためにK氏のお祖母ちゃんは 霊能者の私の祖母を頼っていたと今では思っている。
祖母たちは 土地に龍神が棲んでいることを解明できなかったけど 私たちの代で私はあなたに伝えることができて あなたは知ることとができた。
知った以上は これまでのお互いの家に溜まった澱を 浄める機会を貰ったと考えてほしから 安波山の”龍神の話”を打ち明けてます。
K氏は震災で九死に一生を得る体験をしたと思うけど 私も”龍の話”を他人に話せば 人格や精神まで疑われると思い慎重に考えた上で話をしています。」とそのときはそんな話をしました。
最後まで黙って話を聞いたK氏が 「その龍は 銀色だと思う・・・!!」とポツリと呟きました。
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因みに私には金華山系の黄金龍神が付いていて 銀龍神はその弟。
鹿折地区が3日三晩 海からの延焼で燃えて壊滅したとき 弟の銀龍神は一番燃えた鹿折駅前で 黒い瓦礫の中から右手を突き上げて力尽きました。
3月14日の明け方 朽ち果てて行く姿を私は 兄の黄金龍神より映像で送信されて視てました。
龍の言葉を伝えるお役目の私でも 龍の棲む土地の当主K氏には 面と向かって中々言えないので ブログ引っ越し前に「ご縁ある若い龍神が 気仙沼に新しく配属されたので何卒宜しくお願いします。」と報告し 私たちの代は皆と楽しい交流を続けたい記しました。
もしあのとき龍脈が変わらずに流れていて 銀龍のエネルギーが蓄えられていたら 避けられることがあったかもしれない。そんなことを考えたりもします。
K氏と私に起きた龍の話は 龍の棲む国・日本ではけっして珍しい話では無く この先各地で起こりうる自然界の気の流れ 土地の磁場の話かと思います。
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