虹の旅人

2011年3月11日 故郷が壊滅。 人生はNext Stageへ

本日は 42年目の結婚記念日

今年の4月1日を越える辺りから 我が家のそれぞれに転機が起きて バタバタと気忙しくしていました。

東日本大震災の節目の10年を迎える頃より 予兆はあったのですが・・・。

 

息子家族は 孫の花ちゃんの幼稚園進級に 転勤やら新事業やらに追われ 娘家族は 雪ちゃんが保育園に入園して 若いパパ・ママの方が子離れできずに 一喜一憂。

 

新しい環境に移る子どもや孫の様子を見守りつつも 変化が一番大きかったのは 長年連れ添っていても お互いを空気のような存在と感じられない私たち夫婦の関係でした。

 

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北海道初アイスクリーム屋さんの「鍋焼きうどん」

 小樽お墓参りの帰りに 昼食で寄ったのが 都通りにある創業50年以上の「パーラー美園」。

ここのお店は 北海道で初めてアイスクリームを販売したお店として知られているのですが 小樽では「鍋焼きうどんの美味しい店」としても知られています。

 

小樽に行けば「パーラー美園」パフェか 数百メートル先にある「あまとう」のパフェか どちらを食べるかを悩むのですが ある年のお墓参り後に「パーラー美園」に行くと 昼の混雑時間に来店した地元の人たちが 次々と鍋焼きうどんを注文。

 

それを見ていた私たちは 「きっと美味しいはず!!」と 再びパーラー美園に「鍋焼きうどん」を食べに行ったのです。

うどんはふわふわ。 上質な昆布の出汁がきいたタレ。ゴボウ天・ほうれん草・竹の子等の具だくさんの「熱々鍋焼きうどん」なのに こだわりの使用水が効いるせいか持たれ感の無い後味。

なので 続けてメインメニューのパフェが注文できます。

 

今回私がオーダーしたのは 春イチゴのパフェ。

変らない店と言いつつ アイスクリームの質が今どき風に進化していて あっさり完食。 f:id:nijinoringo:20210326121846j:plain f:id:nijinoringo:20210326121916j:plain

 

2021年春 コロナ制限解除直後の都通りは 観光客が絶えて人通りも少なく 40年以上も前 小樽っ子の夫が 当時”寂れた町”と呼ばれていた地元を 私に案内してくれた頃より もっと静かになってました。

 

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日本海の祈り後 太陽に黄金日輪

 前回記事の続きです。

 

 東日本大震災から10年目。

節目の3月11日を迎えて コロナ禍中なのに居ても立っても居られなくなった 埼玉在住のHさんから「看板を持参して 気仙沼に向かっている!!」と メールが届いたのは前日10日。

JR鹿折唐桑駅跡地に看板を置き ”鎮魂”をしてくれて   地元紙の三陸新報から「駅看板の 10年目の里帰り」取材を受け そこで帰ると思ってました。

 

しかしHさん夫婦と小さな孫の3人は その後青森に向かい 予定していた恐山を前にして Hさんの体調が悪くなり途中帰宅。

せっかく私の故郷・気仙沼に行ってくれたのに 何かがあったかなと思っていても 帰宅後も高熱が続くHさんとの メールでのやり取りでは 埒があきませんでした。

 仕方がないので私が祭壇に向い 守護神様に”神と意”すると 幼い御霊たちがワイワイ集まって「つみのこし」と 教えてくれました。

伝えられた言葉の解釈は 霊感があり今はヒーラーとなったHさんが 体調回復後にするかと思います。

慌しく出発した東北への旅が Hさんには命がけの旅となり なんだか残念な感じでした,

 

私は 無事に11日を超えたことを 日本海で祈りました。

その後 太陽の周りに黄金の光輪 

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3月11日 故郷鹿折に祈りを込めて

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2010年5月6日 被災前の鹿折唐桑

 何年経っても3月11日は 気が重く 節目10年目となれば辛さが増します。

直接の被災当時者ではない私は ”あの日”が人生の分岐点となったをお2人には 毎年連絡を入れます。

 

知人の Hさんから「鹿折唐桑駅の看板を持参して 気仙沼に向かっている!!」と メールが来たのは前日の10日。

震災発生時から 第18共徳丸が打ち上げられた気仙沼・鹿折地区に 撮影で通い続けて数年後 駅舎が取り壊される場に居合わせた鉄道ファンでもある男性が 駅看板を譲り受けました。

後々 私が開いたスピお茶会参加者だった道内在住のHさんは くだんの男性と結婚して埼玉に住みました。

 

3月11日に気仙沼に行っても 地元で被災した人達は ひっそり過ごしてるよ」と 伝えたのですが Hさん家は 居ても立っても居られなくて行動したようです。

 お陰で 里帰りした「鹿折唐桑駅の看板」が ”祈りの場”になってくれました。   

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        2021年3月11日の鹿折唐桑駅 画像提供 Hさん 

                

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気仙沼湾を渡る「かなえ大橋」開通

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3月6日 三陸沿岸道路「気仙沼港IC~唐桑半島IC」開通式が行われ 夜には気仙沼湾横断橋〈愛称・かなえ大橋)の 開通記念花火も打ち上げられました。

 

リアス式海岸気仙沼湾には ”神明崎 柏崎 蜂ケ崎”の三つの岬が突き出しています。 

昔から 中国の三つの脚がある煮炊き道具”鼎”に見立てて「鼎が浦」という呼び名があったので 公募によって決められた愛称に「夢 願い 希望を叶える」の意味も込めたようです。

 橋の名前が 漢字の”鼎”でなくて良かったと思っています。

”鼎”を書くとなると ”画数多いし バランスが取りにくい文字だし 読める人が少ないし”で 書類や履歴書に学校名を記入したとき 苦労をした経験があるので 見た目軽やか親しみやすい平仮名「かなえ」で良かったと思ってます。

 

東日本大震災から10年目の3月11日が近づき マスコミでは”あの日の記憶”を忘れないようにと 当時の映像やら 被災した人達の10年後の暮らしが 放送されています。

 

気仙沼出身の私は 当時も今も札幌に住んいるのですが 2011年の3月11日 2時46分は けっして忘れたくない記憶となっています。

テレビから 生まれ育った町を襲う地震津波 海の延焼映像が流れ「気仙沼に とんでもないことが 起きてしまった!!」と震えながら見てました。

 

気仙沼の鹿折地区の実家には 82歳の父親が独りで暮らしていて 5目目にやっと生存確認ができるまで 遠く離れた札幌で無我夢中で過ごしました。

 

今ここに来て歳月と年齢が積み重なる程 あのときの映像を見る勇気も無くなり 震災のニュースに気持ちがめげてました。

 

そんな所に今回 地元の同級生小野寺氏が送ってくれた 「かなえ大橋」開通記念の花火映像がとても綺麗なので 少し気持ちが明るくなりました。 

 

「かなえ大橋」の開通を機に 是非気仙沼にいらしてお土産を沢山買い 海を渡る美しい橋を通り「皆さんの 夢や希望がかなえられること」を願ってます。

                                                                                  

孫の雪ちゃんと 宇宙語でおシャベリした2週間

 私には長男家の初孫・花ちゃん(3歳10か月)と 長女家に生まれた雪ちゃん(1歳5か月)の2人の孫がいます。

今回は 長女家の雪ちゃんのエピソードです。

 

雪ちゃんママは前の会社を出産を機に辞めたので コロナ禍の昨年末から就職と保育園探しをしていて エントリー登録やらWEB面接やら書類記入などの度に 私が雪ちゃんを預かる機会が増してます。

少し前 長女夫婦から「働き出したら雪ちゃんを預かって欲しいと」の打診があったのですが シニア世代でも仕事を続けている私自身の気力・体力 休息を鑑みて そして私と長女との親子関係を良好に継続するためにも 「ばあば保育園」でのお預かりを丁寧にお断りしました。

そのこともあり就活&保活は 全力サポートしたい気持ちがあるのです。

 

雪ちゃんとは 緊急帝王切開手術で生まれるときの同意書類の全部を ばばである私が署名した経緯もあり 深い縁を感じる仲なので 歳は違えど一緒にいても窮屈に思うことも無く おままごとやぬいぐるみ遊びなどでいつも一緒に楽しく遊んでいました。

 

2週間前に 雪ちゃんとおもちゃのキッチンセットで遊んでいたときのことです。 

雪ちゃんが「⤴;⤵й☆~⤴∞§*>±⤵?~⤴%⤵#~⤵?⤴%~・⤴⤵⊇」と絶妙なイントネーションで 突然おシャベリし出したのです。

 

 たぶんですが「ばあばの食べたいものは何~?? 雪ちゃんが 作ってあげると!!」と 私に聞いていると理解できました。

あまりにも”クチュクチュペラペラ”と耳障りのよい 音のような曲のような言葉を発したので戸惑いましたが・・・??

 

 子育てをした経験上 この時期の幼児が喃語と言われる「にゃにゃーとか カーたん」とかの言葉を 回らぬ舌で発することは知っているのです。

でも目の前の雪ちゃんが発している言葉は 喃語とは違うニャンスのものだと気づきました。

まるで初対面の宇宙人と話てしている感覚だったのです。

 

小鳥のさえずりのように可愛らしいので 雪ちゃんの発する言葉と同じイントネーションで出身地の気仙沼弁の「”ぺっ!!”や ”やちゃ!!”」を織り交ぜて応じて 会話を続けました。  

 

雪ちゃんは 自分が発した言葉が ばあばには通じたと思ったらしく ペラペラの宇宙語を2・3分の長丁場で得意げにシャベっていました。

可愛くて面白い場面にでくわした私の感動を ご察し下さい。。。

 

後で検索すると 言葉を発する前の幼児が 似たような宇宙語を発することがあるようで 自分のおとーさんやおかーさんには覚えたての喃語で通じるので かえって宇宙語を発することがあまりないとか。

 

雪ちゃんのレアな宇宙語を動画保存したくてスマホを向けると 何故かオシャベリが止まってしまい記録ができませんでした。

2週間たった今では 言葉と意思表示が進化して 簡単なコミニケーションなら周りの人に伝えられるようになり 宇宙語を発することが少なくなりました。

 

思えば雪ちゃんの宇宙語は 雑談時に長女が面白可笑しく私に 世間話をするときの軽やかで明るい声音を真似ていて 雪ちゃんなりに自分の声で楽しい声音を発していたと思うのです。

あの耳元をくすぐるような”可愛い天使のささやき”を もう一度聞きたいものです。

2021・2・28 春を告げるミモザの大木

 

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出雲から届いた 旧正月祝の赤い御幣

 昨秋 出雲大社の氏子であり大鳥居近くに住む友人から 毎年神在月稲佐の浜で

行われる「神迎え」神事は 今年コロナ禍で 神職の方々のみで執り行うため ”一般参列者の参列は中止となり 事前に配られる神迎え御幣も無い”と 連絡がありました。

仕方がないと思いつつ 残念な気持ちが そのときの声音に出ていたのでしょう。

 

有難いことに気を利かした友人が 2月12日の旧正月出雲大社で配った「福神祭御幣」と 手作り”檜の御幣台”を送ってくれました。

 

私の守護神様が 出雲大社の客神として祀られていることもあり お迎えお膳には 宮城一ノ蔵お神酒に「金龍」と 使いの黄金龍神様の好物である”鯖の刺身”をお供えして 

今年も つつがなく毎日を過ごせるように祈りました!!

 

 

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