虹の旅人

2011年3月11日 故郷が壊滅。 人生はNext Stageへ

侍ソウル 北海道当別・伊達邦直公

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                                        有備館より

 戊辰戦争に敗れた岩出山伊達藩は、禄高を減らされ藩は困窮し 新天地を蝦夷地に求めて北海道開拓に
岩出山伊達藩10代の若き当主 伊達邦直公に従い 第一陣藩士180名が入植しました。

10年前に不思議な夢で呼ばれた以降、 私は岩出山に何度も 足を運ばなければならない事態が起きてました。

7・20→夢で呼ばれた 祖母の故郷岩出山  ~有備館
何回目かの 岩出山訪問の時でした。

岩出山有備館から車で直ぐの場所に、全国的にも有名な「道の駅」があるというので行って見ると、同じ敷地に北海道民には見慣れたロイズチョコレートの大きな店がありました。

聞けば 岩出山藩が当別の町を開拓した縁で 姉妹都市の縁で出店しているとのこと。

隣の札幌に住んで居ながら知らずにいた私は 早速当別町の伊達邸別館や 当別伊達資料館を訪ねました。

別館には当時の再現建物があり、座敷にたたずむ伊達邦直公ご夫妻が部下の藩士から、作物の育成状況の報告を受けている様子の 人形が展示してあります。

伊達資料館には、若き邦直公が着用した裃や陣羽織も展示してありました。
中には草鞋姿の邦直公が 当別の農作物の検校見回りの際、木陰で休憩している図もがあります。


私が強く心惹かれたのは、明治初めの入植時に持参しであろう岩出山藩の地図を 大き掲示してあったのことです。

当時の岩出山を思い起こさせる城山や有備館、水辺廻りの美しい一の構、二の構が詳しく描かれてました。


その地は 彼らにとって二度と足を踏み入れることも、けっして忘れることも出来ない 自慢の美しい故郷であり、私の祖母や父が生まれた町です。
北の地に故郷遠く離れて暮らす私にも 見慣れた町でもあります。



~~~~ 当別成し遂げしは、岩出山の士なり。

身どもら不運にして、先祖の地を衛るにあたはず、すなわち棄ててエゾチに走る。

されば命あるかぎり二度と再び戻るを得ず、つつしんで永劫の快別をまうす。

開拓先駆者 伊達邦直 他あり…
                               当別町長 伊達 寿之  ~~~~ 



※ 上記は、岩出山蝦夷開拓吏出立の朝、伊達邦直公が藩内の八幡神社神前で語ったものとして「石狩川」本庄陸男著に記されている台詞です。

岩出山有備館にも、同じ台詞の石碑があります。




北海道の広大な厳寒の地で、日本海の荒れる浜風にさらされながら 若くして当別の土地を切り開いた邦直公は、後年明治天皇より札幌豊平館にて 優秀な開拓指導者として単独謁見を許されています。

そこの至るまでの苦難の10年間の道のりは 凄まじいものだったと思われます。



今年5月5日、家族とともに当別神社に行き 先祖と所縁ある地のお殿様の伊達邦直にお参りして、翌週に宮城に帰省しました。
仙台空港から一路 当別の伊達邦直公の想いを 廟瑞鳳殿に祀られた政宗公に伝えたくて 私と妹はお伺いしました。

瑞鳳殿に参拝に向かうまさにそのとき、超ミラクルなお引き合わせの恩恵に恵まれることに 相成りました。