お仕えしている殿様が目指した野望の先駆けとして、幕府にも隠密の計画で船を出し、特使として海を渡った支倉常長とは、どれ程伊達政宗公に信頼された人物であり、また常長も藩士達も殿様の期待に報いる覚悟で、月の浦を出発したことかと思います。
月の浦港の小高い丘の木陰には、支倉常長の立派なお墓があり、近くには日本に来た外国人乗り組み員達が使った「南蛮井戸」も現存されています。
月の浦港の小高い丘の木陰には、支倉常長の立派なお墓があり、近くには日本に来た外国人乗り組み員達が使った「南蛮井戸」も現存されています。
時代の流れと人生のタイミングが合うか合わないかで、運が良いとか悪いとかというのなら、そのことにもにも感慨深いものがあります。
殿の海外進出の野望を誰よりも知っていたのが常長その人で 魅力ある主君伊達政宗様より直命を受けた者は、「己には名誉なことだ」と言い切り この地を旅立ったとでしょう。
いつの世でも殿様と呼ばれる方は、自分に仕えた者達に全ての想いを託して物ごとを成し遂げるのだと思います。