その他に「平野型」 「リアス式海岸型」があり、いずれも学校や役所などの公共施設を高台へ移し、海側から高台へ真っ直ぐな片側2車線の道路を検討する。と発表されました。
しかし、今だ被災地ではテレビを見る機会も少なく、新聞配布も限りがあります。
地元の被災者の方々が、発表された「3パターンの復興案」を知るのは、全てが決まった後になるかもしれません。
被災前気仙沼中心部の内湾には、「風待ちの街並み」という、独特の風情ある建物群がありました。
被災後、中核となる役所が混乱している状況では、止むえないのでしょうけど・・・
どうか何十年後の先を見据えて、次世代の住民・観光客が美しい「海の町」と思える 「三陸・東北の町復興計画」をと 願っています。
気仙沼湾 2000・10
震災による地盤沈下や、海や土地の環境浄化から始まり、基点施設・生活や防災道路、住宅や緑化等と、早急に優先順位を決めた復興計画が進められるのでしょうが、それなら微力ながら私もお手伝いをしたいです。
既に、私の気仙沼・鹿折地区でカワメの養殖や海産物加工の海に関わっていた友人達も、高台へ住居を移動している。と聞いています。
移り住む人、その地に残る人・・・皆必死に、色々な選択の中で決めたことと思います。