2006 4 仙台博物館前
~2011年4月30日(土) 読売新聞・「時代の証言者」より抜粋~
今回の東日本大震災では、予兆はなかったんやろか。
東北地方の古老なら、小さな異変に気づいていたんやないですか。
年寄りには、長年の経験に基づく知恵がありますねん。
たとえば、防潮堤にひっついている貝類が急にいなくなることや。
多くの人間が知らんだけで、自然界には恐らく何らかの兆候があったはずですわ。
実は去年の春、うちにある桜の色がちょっと変やったんです。
種から育つ「実生」の桜の花が妙に赤いさけ、「こういう時はなんか起こるで」と話してましたんや。
阪神大震災の前年も同じような色でしたな。
そやけど、事前に警告していたとしても、今の世の中では「非科学的」と聞く耳を持たれんやろな。
それが悲しいんですわ。
植物を扱うわしらの仕事は自然が相手ですわ。
いつも季節や天気、その土地の土壌のことなどを頭に入れておかんと、うまくいきませんのや。
建物なら管理できますけど、自然や植物は管理できまへん。
管理できるという考えは、人間のおごりですわ。
植物は管理ではなく、育成せなあきませんが、そうそう人間の都合のいいようにはいきませんな。
人間の事情や尺度とは関係なく、自然は自然の営みがあり、それは昔からずっと変わりませんのや。
でも、犠牲を最小限に抑えるためには、自然の声に耳を傾ける謙虚な態度が必要と違いまっか。
2011.5.5 札幌 豊平館