虹の旅人

2011年3月11日 故郷が壊滅。 人生はNext Stageへ

今年も チューリップの花が咲いた

 気仙沼で被災した従姉妹の同級生から、,嬉しい知らせが届きました。
 
従姉妹の彼女は、前の仕事を辞めて保険会社の正社員になった直後に震災に合って住む家をを失い 避難したため仕事はできず、この先どうしようかと途方に暮れていました。
しかし 採用されて間もない会社から、月々の給料が振り込まれていて非常に助かった。と喜んでました。
 
 6月から給料を払い続けてくれた会社に恩返しするつもりで、気仙沼の被災者用のアパートを借りて働くとのことでした。
 
 「それに被災した人達と同じ立場の自分が親身になって、保険の加入を誠実に勧めたい」と、大人しい彼女にしては珍しく、きっぱり言い切りました。
 
遅い人生の再出発だからからこそ 「めげない!!泣かない!!」そんな女の働き方を始めます。
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 彼女は遠い遠い父方の親戚ですが 田舎町の気仙沼では多少々遠い関係でも 皆が親戚で通ります。
 
数年前に離婚して独りで暮らす彼女に、 昨年2月の津波の際も「私の実家に避難したらいいいよ」と、電話を入れていたので、この度の震災も「独り暮らしの父親と一緒にいて」と、祈ってました。
 
彼女は震災のその日、息子さんがたまたま仕事休みで気仙沼に戻っていて、親子で避難する途中に私の実家に寄ってくれました。
 私とは家の電話で連絡し合う仲なので、お互いの携帯番号もメルアドも知りません。
 
 私は連絡がつか無い父親や親しい知人達の名前を、「グーグルの行方不明者」探し欄に 連日何度も何度も打ち込んで安否確認をしてました。
 
もちろん連日寝ていませんし 眠れません。
 
3日目に彼女を探す娘さんの名前を見つけて いきなりの電話で自己紹介して「お母さんから連絡あったら、札幌の私にも連絡を下さい。伝えて」と、お願いしてました。
 
 4日目早朝、彼女から「おじさんは、無事で家にいるよ」の メールが入りました。
 膨大で闇雲に探す情報の中で奇跡的に繋がった1本の連絡先から 父親の生存を知ることができた。 本当に嬉しかったです。
 
 その彼女が 仕事も休業となり 既に両親も亡くなった気仙沼へ 被災証明や住宅手続のため 避難した古川から足を運んでいます。
 
会社から給料が支払われる
は、数々の悔しい思いを乗り越えて、いじけず自分の道を真っ直ぐ歩いてきた彼女だからこそ遠慮なく、受け取ってほしいです。
 
私は、応援しています。
 
 ※ 多くの震災避難した人達は 地震津波の襲来が思ったより早く、携帯電話もバックも連絡先も持たず ともかく必死で逃げた。
落ち着いいた時期になっても 「連絡する手段がないから ひたすら相手側から連絡が来るのを待っていた」と、後日被災した友人達が語ってました。