~長い文章になります~
待っている間に私は その駅が亡くなった実母が卒業した学校の 最寄駅であることに気づきました。
翌日はお天気が良く 暑い程です。
3月11日に被災して以来 海の色の青い服が着られなくなり 気持ちが休まることが無かったC子ちゃんと 過ごす時間はとても穏やでした。
「暑くて このままアパートに戻ってもねえ~」なんて言いながら 休業中のお寿司屋の奥さんのご好意でカウンターをお借りして 買った寿司パックを二人で食べました。
震災のこと・・・気仙沼のこと・・・ この先に避難していること・・・etcを話しました。
話題の中に「佐浦町」と、現在は使われていない町名が出てきて、 「確か私の母は 佐浦町で生まれ育ちで釜女卒。
母方のお祖父ちゃんと祖母ちゃんのお菩提寺は塩釜にあり「雲」がつく名前のお寺だったような??」と、記憶があやふやによみがえり そのことを話しました。
今思えばC子ちゃんの娘さんのアパート住所が 旧佐浦町だったのですが 私が生まれた頃には 母の実家は仙台に移っているので あいまいだったのです。
そんなあいまいな話を聞いていた お寿司屋さんの奥さんが キッパリ言ったのです。
「元塩釜女子高校は 直ぐ裏にあり 歩いて数分。 雲の付くお寺は○○寺と○○寺の2つ。そこだって高校の隣だよ。せっかくここまできたのだから是非 両方に訪ねなさい!! これも 何かのご縁だから」と。。。
元塩釜女子校の乙女チックピンクの校舎前を通り抜け、「何百もあるお墓の中から 母方のご先祖様のお墓を探し出すなんて 絶対無理!!」と思っていると、こっちこっちと導かれるように迷わず 直ぐにお墓前に辿り行きました。 何これです!!
帰りがけ 暑い日中お寺のお坊さんが外に出て来られたので、「○○家の孫の者です。本日は札幌に帰る途中に お参りさせていただきました」と、ご挨拶できました。
私に付き合うC子ちゃんも この展開に ドキドキです。
そういえば数年前、気仙沼の母のお墓参りに付き合ってくれたのもC子ちゃんでした。
そのときも 途中で探していたC子ちゃんの父親の本家お墓を発見してお参りして 驚いたことがありました。
「自宅が被災して自分達家族3人は あの時にお墓を発見し本家に避難して 1月以上も仏壇がある部屋で寝泊まりしていた」と言ってました。
「何だか お墓繋がりだね。ご先祖繋がりだね~」と笑い合う2人です。
嫌なことから避難してきた塩釜で 母の若かりし姿を思い出し、ご先祖様のお参りと 時空間を越えた不思議な旅を体験しました。
そういえば気仙沼に滞在して実家の片づけをした際 母の高校同級会アルバム出てきて、そのアルバムを枕元に置いて寝ていたけど、これも偶然のことかしら・・?
御釜神社参拝の際 7月の藻塩焼神事のことを聞き、「その日までは塩釜にいない」と言っていたC子ちゃんの滞在が どういう訳か長引きました。
その都度C子ちゃんは 顔見知りになった寿司屋の奥さん所に出向いて情報を得て、塩釜神社の「夏越しの宵の茅くぐり」や、6日の藻焼塩神事の藻焼きの塩を受け取って 私に届けてくれたのです。
塩釜に仮住まいのC子ちゃん 本当にありがとうございます。
貴重な塩と水を 8月11日 午後2時46分に 気仙沼鹿折の海で役立てます。