虹の旅人

2011年3月11日 故郷が壊滅。 人生はNext Stageへ

2011年3月11日の 東日本大地震から1年後~

 今回の震災1周年の気仙沼帰省には 高齢の父が独りで「あの日」を迎えたら 色々思い出して可哀想だな。の娘の想いもありました。
 
近くに駐在所も、復興マルシェもできた父は「この先も気仙沼にずっと住む」と言い 体力も経済も低下した娘の心境は複雑です。
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        2012・3・11 PM3:20 撮影
 
※2011・3・11 気仙沼内湾のフェリー発着場の桟橋は、地震から50分後に襲った津波で 湾内を彷徨ました。
 
 同級生達は 小学校から高校まで同じクラスの大親友が 仕事や親のことを考えて 岩手県・一の関に引っ越します。
「そのうち」が待てなくて 親友夫婦と3人で世界遺産の「平泉」の半日旅をし、「また会う日までお   互い幸せになろう」と言いました。

鹿折地区の公園計画が決まり 自宅跡に家を建てられない幼馴染みの同級生は「子供達も都会にいるから 気仙沼に独りで住む理由が無いんだ」って 寂しそうに言います。
借り上げ住宅の猶予期間内に 人生を一からやり直しをするそうです。
  
仙台空港に見送りに来てくれた同級生は その日ご主人の仕事の試験採用日でした。
「今でも 震災テレビ番組は辛くて見られない」と言っていたけれど、仕事先から採用の嬉しい知らせが届きました。
 
半壊の実家にアドバイスをくれた同級生は、震災で仲睦まじかった奥様を亡くした後も、復興の仕事に追われて活躍しています。
一周忌もあり 改めてお礼の電話を入れると「還暦の同級会で会おう!!」と言ってくれました。
  震災発生直後の同じ時期 私はこの「虹の旅人ブログ」を緊急掲示板として開放し、気仙沼・「鹿折中学25回生」の安否情報をUPしてました。
 
名前をUPした半数以上の地元同級生は 2011年3月11日 自分の命が助かっても 自宅が崩壊したり 仕事や大切な人を失っています。
 
この先私の同級生の仲間達は 「再生の道を 大きな負荷を背負って 前へ進みます」
どうか 被災した方々を 暖かく見守り続けて 応援して下さい。