今回の震災1周年の気仙沼帰省には 高齢の父が独りで「あの日」を迎えたら 色々思い出して可哀想だな。の娘の想いもありました。
「そのうち」が待てなくて 親友夫婦と3人で世界遺産の「平泉」の半日旅をし、「また会う日までお 互い幸せになろう」と言いました。
鹿折地区の公園計画が決まり 自宅跡に家を建てられない幼馴染みの同級生は「子供達も都会にいるから 気仙沼に独りで住む理由が無いんだ」って 寂しそうに言います。
借り上げ住宅の猶予期間内に 人生を一からやり直しをするそうです。
仙台空港に見送りに来てくれた同級生は その日ご主人の仕事の試験採用日でした。
「今でも 震災テレビ番組は辛くて見られない」と言っていたけれど、仕事先から採用の嬉しい知らせが届きました。
半壊の実家にアドバイスをくれた同級生は、震災で仲睦まじかった奥様を亡くした後も、復興の仕事に追われて活躍しています。
一周忌もあり 改めてお礼の電話を入れると「還暦の同級会で会おう!!」と言ってくれました。
名前をUPした半数以上の地元同級生は 2011年3月11日 自分の命が助かっても 自宅が崩壊したり 仕事や大切な人を失っています。
この先私の同級生の仲間達は 「再生の道を 大きな負荷を背負って 前へ進みます」
どうか 被災した方々を 暖かく見守り続けて 応援して下さい。