虹の旅人

2011年3月11日 故郷が壊滅。 人生はNext Stageへ

2013年1月11日に

 2013年1月11日 全日空14時30分千歳発羽田行き便に 私・虹りんご
は震災前と同じく いつものように三陸海岸が見える窓側に座ってました。
 
震災から1年10カ月目の11日。
故郷気仙沼・鹿折地区に地震が起きた2時46分と 津波に被災した3時36分の間に 私が上空にいることを不思議に思っていました。
しかし地上を厚い雲が覆っていたので 「故郷は見えないだろう」と諦めていました。
 
それが岩手県宮古に近づくと 「ピンクっぽい薄い紫色の雲」がたなびき 海岸線がだんだん見えてきました。
 
 
周りに他の乗客がいないことを幸いに 私は窓にへばりつき 気仙沼のために自分が何もできなかったことを詫びて 亡くなった方々に祈りを捧げていました。
 
客室乗務員の方が「景色が良くご覧になれますか」と声をかけて下さったので 「気仙沼出身なので震災の11日の同時刻に 感慨に浸ってました」と 答えました。
 
 
若くて美しい乗務員の方が 私に寄り添うように身を屈めて
 
「私はあの日 同時刻に札幌発羽田便に乗務していて 仙台上空を飛行中に地震が発生しました。詳しい状況が解らないまま 羽田に向かいましたが着陸できず 数時間旋回して千歳に戻り 空港内のテレビで 未曾有の大震災のことを知りました。」とお話してくれました。
 
ちょうどその頃 窓の外に太陽の光が差して 唐桑半島・大島・岩井崎 太平洋沖の震源地に最近い神社がある金華山島が くっきり見えてきました。
 
 
客室乗務員の方より後日 「今日の出逢いと 震災時の状況の貴重な言葉を忘れずに生きて参ります」と書かれたハガキを頂戴しました。
 
震災で自分の育った町が消滅した哀しみや 被災でズレが生じて疎遠になった身内のこと等で 気持ちが沈むこ日もあります。
 
頂いたハガキは「震災のことを風化させず 教訓として伝える」と決めた 私の宝物となりました。
 
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2013年1月11日(金)千歳発NH66便のM様の 真心のこもった優しさをに救われて 2人で震災を語った’’あの時間’’に 沢山の御霊が成仏して下さったと想っております。
 
本当にありがとうございます。
 
※ 紫雲とは 
紫色の雲。念仏行者や徳の高い人が臨終の際 仏様が乗って魂を来迎(らいごう)する雲。紫雲を見た人も幸運になると言われ 思いがけない吉兆を指す。