虹の旅人

2011年3月11日 故郷が消滅して 人生はNext Stageへ

時空旅行  ~横浜~

 東日本大震災のとき 気仙沼市内が真っ赤な炎に包まれるテレビを見て、一緒に途方にくれたKちゃんが 2月1日金曜午後5時に 横浜・桜木町改札口で出迎えてくれました。
 
昨年の鹿折中学校25回生関東同級会以来  3カ月ぶりです。
 
 
 ラウンドマーク69階から眺めた横浜の街360°のマジックーアワーは 展望台を一周して見ても心残りで 2周目でも立ち去り難く 「もう一周したら帰ろうね」と言う程の まったりした時間でした。 
 
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その後 食事のためタワー下に降りると 日揮の本社ビルの目の前の扉が 大きく開いてます。
 
虹りんごは 何のためらいもなく 人と花の少なくなった献花台上の記帳ノートの前に進み 最後のページに名前を記帳させて頂きました。
 
広いロビーの片隅には 弔問者が持参した慰霊の白い花々やお酒が沢山乗っていて 真っ先に目に入ったのが 宮城県大崎市の蔵元”一の蔵”のお酒の箱です。
 
誰が献酒したのか 志津川中学から一の関の学校に行った方が 好きで飲んだお酒なのか。
ただただ亡くなった方への想いを馳せるだけでした。
 
長い鎮魂の祈りとなった私を 沈痛な顔でKちゃんが待っていて その隣に見知らぬ女性が立ってました。
 
その女性は新聞社の方で
「本日どのようなご縁で こちらに献花にいらしたのですか。 今日が最終日で 本来なら5時半で終了するはずでしたが どういう訳か6時過ぎても献花できるのを御存知でしたか。」と 色々聞かれました。
 
虹りんごは「何も知しりません
」としか 答えられません・・・??
 
時間外でも私達が 慰霊でこの場所に来るのを待っていたのかな・・・としか思えないですもの。
 
 
自身のブログで今回のことをUPし 特に南三陸町出身で犠牲になった方と そのお母様への想いを綴っているし 成仏して頂きたかった。と語りました。
 
日本のために企業戦士として送りだされた方々のお陰で 私達はエネルギーの恩恵を受けていると。
グショグショめちゃめちゃの展開でも 必死に新聞社の方に伝えてました
 
 
突然亡くなった人の魂が 自分の命が尽きたことを自覚できず その地に留まることがあり、亡くなった方の生前の功徳を口に出して讃えることが 何よりの供養になることがあります。
 
そのためその場所に私が呼ばれたと思っておたので 翌日の2月2日には 南三陸町・ホテル観洋開催の”還暦同級会”に間に合うように アルジェリアからその方の魂が戻ってきて欲しいと 祈りました。
 
頭脳明晰でありながら誰からも慕われたお人柄の魂が 再び三陸に生まれ変わることを願って 祈りました。
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人は出逢って別れ 忘れられない日々と想い出が残り・・・
 
そうして私達は生きて行くのかな・・・
 
 
Kちゃんこの度のご案内役 本当にありがとうございました。