虹の旅人

2011年3月11日 故郷が壊滅。 人生はNext Stageへ

修験者が使った実家の井戸 ③

 2004年2月 札幌に戻る前日に岩出山町上野目に行くと 近隣の人達が埋もれた井戸にホースをつないで 田畑の水に使っていました。
 果たして 「綺麗な水が出る井戸は復活するのか」・・・
その年の5月に母が亡くなり 新盆やら一周忌に追われて 井戸のことはすっかり忘れていました。
 
 

三回忌を前にした2006年の3月に 私は再び夢の中で「竹林の井戸のお告げ」を受けました。
 
どこかを通りがかった私に 白い着物に黒い袈裟を羽織った小さなお坊さん(30cm位)が 甲高い声で
 「これ あんだ~!! 風通を良ぐしてくれないが。。。」と 東北弁で訴えて来たのです。 
 
私 「風通しって どこの場所?」と聞くと 
あの岩出山の竹林の井戸の土地の映像を見せてくれました。
 周りには白装束の小さな人達が何人かいる気配がして お坊さんは代表者のようでした。 
 
そのときには黄金龍神に呼ばれた夢のお告げのときも お坊さんが関係していたけど「何故?なのかな」と思ってました。
 
 
2006年5月に母の三回忌を無事終え 「風通しを良くしてくれ!!」と頼まれていた 気がかりだった土地に行く前に私は 「あの土地の入り口近くの 椿の木の根本に妨げがある」と 地図を描いて皆に説明してました。
 
案の定 父が管理を依頼した親戚が勝手に その場所に廃材を積み上げていました。
夢のお告げを半信半疑で聞いている 親戚を説き伏せて 即撤収してもらいましたっ

 
 
そのときひっそりと後ろで 事の成り行きを見ていた父がボソッと 数件先の本家を指さして
「そういえば俺が生まれたあの家にも 祖母さんの実家筋と同じように 山伏やら修験者の人が来て 泊まっていたぞ」と言うではありませんか。
 
「それならこの井戸水は修験者の人達が使ってたの?」と聞けば 「身体も洗っていて この井戸の土地は 三つの道の分岐点上にあるんだ。」と自慢げに言うではありませんか。  (爺ちゃん!! ボケるにはチト早いのでは・・と思うような父の言動
 
 
見渡せば 東下り源義経が平泉に辿った道が目の前にあり 松尾芭蕉曽良の「奥の細道の旅」の看板も近くにありました。
 
北上川と荒雄川が合流した江合川近くの田んぼの中にある小高い土地には祭壇も飾れる窪んだ場所もあり 根が複雑に絡まる柿木もあり井戸もありで 修験者達が集まる場所としては わかり易く目印になる地形だったのです。
 
奥州街道の三本の道が重なる一本目は 東北三大霊場日本海側の出羽三山から。  
二本目は日高見川の川筋を通る平泉と恐山への道。 
残る三本目は霊場最後の難関 「まさかの~霊島・金華山!」に繋がると 私は紐解きました。
 
翌日 少し謎を残したまま私と妹は 金華山黄金山神社の初巳大祭にご参拝に行くと 鮎川の船発着場で顔見知りの船主が 「今日で良かった~。昨日はいきなり突風が吹いて 午後の便が欠航になった」と教えてくれました。 
その時刻は丁度 私達が廃材を避けて 風通しを良くした時間帯でした。。。
 
 

井戸のことは翌年まで 井戸を掘り起こす職人を仙台や古川でいくら探しても見つからず 途方に暮れて手つかずの状態でした。
 
そんなときに珍しく私の夢の中に亡くなった霊能者だった祖母が現れて 「井戸を開くためには ○○(私の旧姓)を正式に名乗る者が 井戸の土地の氏神神社にご挨拶に行かねばならぬ」と言ったのです。
 
当時は甥だけがその姓を継ぐ者だったので 私が見た映像を伝えて 「近くの山の頂上に神社があったから そこの神社の神様に挨拶に行ってほしい。 そこの神社から呼ばれた」と頼みました。
 
最初の夢から3年後。
神様からアドバイスを頂いてご参拝した井戸地にある地元の神社の神主ご夫妻が 訪ねて行った妹親子に 「あの土地の人のなら この神社の氏子です!!」と言っていたそうです。

不思議な夢のお告げで導かれた井戸の話を聞いて お知り合いの井戸業者を紹介して下さり 井戸の「開水御祈祷」をもして下さり 万事を取り計らってくれました。
 
 
沖縄では井戸を発掘できるかどうかで ユタやシャーマンの資質を見極めると後で知りましたが 私はその資質が優れているようです。
月日が流れ 甥も妹も形だけの姓を名乗っていますが あのときに夢に現れた祖母の言葉は 「旧姓に因む神様と繋がる資質を持った者が 井戸を守る者」と言ったような気がしています。 
 
 
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                                                                             ※ 今は 私有地なので立ち入り禁止です