虹の旅人

2011年3月11日 故郷が消滅して 人生はNext Stageへ

気仙沼の父のこと

 昨日に続いて 気仙沼の話です。
 
足腰が丈夫でこれまで病気をしたことも無く 気仙沼の実家に独りで住む実父から 外出先の携帯に金曜日の午後に電話がありました。
 
先月中旬「自分が道路で倒れて気を失い 救急車で病院に運ばれたけど 何でもなかった。それでも一応明日から仙台の行く」との内容。
 
ビックリした私の 矢継ぎの質問に”あっぺとっぺ”の返事をして 「ジャ !!オレ 行ってくっからや~」と一方的に電話を切る始末
 
夕方家電から気持ちを鎮めてゆったりした語調で 「いつのこと?怪我は? 病状は?」とリベンジ電話をしました。
 
訊けば 暑い日に市内の急な坂を まとまめ買いした荷物を持って登り 登り切った所で意識を失い 近くにいた方々が呼んでくれた救急車で 病院に運ばれた様子

 
結果的には当日「CT画像も異常なし」で帰ってきても 私への連絡は2日後。
 
こちらが心配してあれこれ訊いても 難しいことや返事に困るとだんまりを決め込み 仕方ないので「ケアマネジャーさんから言われて電話よこしたの?と」見当つけて訊いてみたり。
 
「病院の先生はなんて言ったの?」では完全に黙秘
 
しまいには「これからは ディケアの回数を増やすつもりだ」と未来を語りだす饒舌ぶり。。。
  
気楽な独り暮らしを阻止されると用心している父親との会話を断念し 週明けの月曜日 朝一で顔見知りのケアマネさんに電話しました。
 
ケアマネさん曰く「ご本人にはプライドがあり とてもショックだったようです。 顔の擦り傷と救急車に乗ったことを 娘達に言わないでくれと頼まれました。がそういう訳にもいかず。。」とのことでした。 
(ダロウな~
 
父が住む鹿折地区には震災後 商店も住宅も無く 津波打ち上げられた第18共徳丸跡近くのコンビニも復幸市場も 少し前に復興作業員の人達が多くいる場所に移ったようです。
 
町そのものが壊滅して 人が誰も歩いていないあの町で 倒れて無事なんて「本当に運が良かったね!!神様ありがとう
」としか言いようがありません。
 
                                               
                                       気仙沼 鹿折地区 2013.10
 
 年金が振り込まれて車の無い買い物難民の父は いつもより遠くに買い物に行き 重い荷物を持って歩いていたようです。
 
「夏バテや 栄養不足もあるからゆっくりして来てね」と心配する娘をよそに 父はたった5日間だけ仙台に居て 自分の棲家に帰ってきました
  
父のために救急車を呼んで下さった方々 病院に駆け付けてくれたケアマネジャーさん 仙台の身内 本当にありがとうございました