虹の旅人

2011年3月11日 故郷が消滅して 人生はNext Stageへ

4年前の3月11日 ④

  知人の紹介で出向いた講演がきっかけで 自分で霊能力があると言う人でも 肝心なときにその場に居合わせられないタイミングで情報を受け取る。それは何故だろう?の”何故”がまた増えました。
 
いくつかのスピ系のセミナーに参加してみると 東日本大地震を事前に予知したり感応した人達がけっこういたようで 他の人達が何を受信したのか。自分とは違う内容なのか。同じ内容なのか。そのときの様子を知りたくてこの4年間を過ごしました。
 
或るヒーラーさんに「父の安否確認の中 「これと これはまったく別っ!!」と神々に言われたと話すと 「神様は そんな風に 人間に優しくないことは言わない!!」と反論されました。
 
私はその人に訊ねました。
「あなたは 自分の考えが神様とは違うとき 自分の能力を使って 自分の思いを神様に届けたことがありますか。
ようするに送受信能力を使って 神様と対話をしたことがありますか。」と。
そのヒーラーは聴くだけが精一杯の人で 自分の考えを神様に送信できる能力者がいることを そのとき 初めて知ったようです。
視えてる分野 関わるフィールドが違うと こういうこともあることを学びました。
 
 
それにしても震災後初めて目にした気仙沼・鹿折地区の現実は 「この世に神様という存在が 本当にいるのか!!」の厳しいものでした。
無事に仙台に避難した父に会いに行きたくても 札幌からの仙台空港津波浸水で閉鎖。 
 
JRもフェリー等の交通網が遮断されて身動き取れず 無理して駆け付けた所で貴重な食料を減らすだけと 遠方から物資支援をして 被災者支援の書類が交付された6月に 父と仙台で合流して帰省。
 
東京が本社の会社親睦会に新宿会場で出席して 朝一番の新幹線で仙台に行き 仙台から内陸部の一ノ関経由で高速バスで  被災被害の少ない気仙沼駅前へ。
 
  
海岸側の被災した様子は テレビや新聞でつぶさに知っていたつもりでも 想像以上でした。
焦げた茶色の瓦礫の惨状は延々と続き まるで空爆されたCGの映画現場のようです。
 廃墟の鹿折唐桑駅前で一人唖然と立ち尽くすのみ・・・。 
 
12時間前にいた繁華街新宿の華やぎと 人の気配が全くない無い爆撃を受けたような荒涼とした故郷を比べて 「爆撃されたのなら もう少し狭い範囲のはず・・・」と思ってました。
 
 
食料は非常食だけど賄えるし 電気と水道と布団が2枚敷ける実家の周辺には 青々とした木々が茂り爽やかな風まで吹いてました。

被災や父の書類提出で 市役所に通いながら 新品のカメラも携帯の充電器も壊れて写真が思うように撮れず 磁場が狂って異次元に迷いこんだ不思議世界に一週間滞在しました。
 
夕方4時を過ぎに実家の窓から50m先を見れば 電柱の無いこの世とあの世の区別も境も無い 漆黒の闇が広がり。
事前に震災の情報を知っていても 何もできなかった自分の無力さと 不甲斐なさを責めて朝も昼も夜も 故郷の土地を慰霊の気持ちで隅々まで歩き回ってました。
 
もしも震災で日常の生活を突然切り取られた霊が   この地に静かに佇んでいたとしても 私には犠牲となったその方々の命さえ尊く そのときはただ祈ってました。 
 
近くにいあるはずの気配は息を潜めて 私の一挙手一投足を整列して見守っています。 
その気配が発する 日常の時間が止まり 自分たちはどうしたら良いのかが解らない戸惑いが読み取れたから 「また帰省するから そのときまで待って欲しい」と約束をしました。
 
その一方で  見えない高次元の存在からは  耳元にメッセージが届き  『お前の働きに免じて 父親は助けた」と言われ 地元を守護する老龍神の最後の姿と場所も教えられました。
 
 
しかし一番知りたい 海の豊富な恩恵を受けるリアス式海岸の美しい三陸の土地に 未曾有の自然災害が何故襲来したのか。 何故神様達が阻止しなかったのか。の答えが未だ聴い届いていません。
 
                                                                                                   ~つづく~
 
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