虹の旅人

2011年3月11日 故郷が壊滅。 人生はNext Stageへ

新城定吉さんの「石庭」

 知人から 沖縄宮古島のパワースポット「石庭」の新城定吉おじいが亡くなったと聞き 聞いたとたん「やはり~」と思いました。
 
というのは今年1月。
札幌全域に4日間の大雪警報が発令させる直前 私は千歳空港から奇跡的に那覇行きの飛行機に乗って行くことができました。
 
その晩偶然目にした記事で 「宮古島空港近くある新城定吉さんの石庭には 精神世界の名だたる方が訪れる」と知り 目的地の宮古島空港から主人と歩いて訪れました。 
 
訪問すると 建物の受付ドアは開いているのに誰もいません。
何度か声をかけると 奥からベットで寝ていた新城定吉さんが出てきてくれたのです。
 
そして北海道から来たこと。 これから新城さんが認める”大神島の神様おばあ”に会いに行くことを 話す時間を頂いて 著書『宇宙に抱かれた石庭』を購入しました。
 
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石庭に廻っていると手伝いの女性が作業をしていて 帰りがけにもう一度受付で声をかけると その手伝いの女性が 石庭で最初に発掘されたヒマラヤ!?だか ムー大陸に繋がる石!?で 私達夫婦をヒーリングしてくれたのです。
 
多少のエネルギー波動ではグラつくことも感じることも無い私が その石の強烈なエネルギーで手が熱くなり 足元が揺れる程凄いエネルギーを感じました。
 
そして12月13日に再び宮古島に行った私は 最終日に娘と新城さんの石庭を 再び訪れたのです。
しかし 新城さんがいるはずの建物の受付ドアは閉じたままでした。。。

今度も手伝いの女性が石庭で作業しているかもと 中に入って覗いてみたのですが そちらにもいませんでした。
「体の加減が悪そうだった高齢の新城定吉さんが もしかしたら入院したのかも・・・」と思い 早々に石庭を出たのです。 
 
たぶん新城おじいそのものが強力な宇宙エネルギーの発信体であり 海底から掘り起こした珊瑚の化石のエネルギーを更に増幅させて 共振していたのだ。と感じました。
その日の石庭は 前回と違う気配が流れてて おじいのいない寂しさや 苦労した思念が残っていて エネルギーが低下しているように感じました。
 
それから10日後の12月23日。
困難と辛い作業を乗り越えて 太古のエネルギーを宿す石を発掘し続けた新城定吉さんが お亡くなりになったとのことです。
   
~~今世でのお役目を果たして頂き ありがとうございました。ご冥福をお祈りいたします~~
 
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