熊本地震で被災した方々は 身体やお気持ちの加減は如何でしょうか。
仮設住宅の設営や 支援政策の対応遅れが気になりますが。。。
そして本日は 東日本大震災から5年2カ月。
数年前に開催していた「虹りんごのスピリチャルお茶会」に いつも札幌市内や小樽まで遠くから参加してくれたHさんから 昨年の11月末に突然のHAPPY報告メールを頂き 驚きやら嬉しいやらの気持をブログにUPしてました。
「HさんのHAPPY報告」
しかし・・・
現在関東に住んでいるHさんと 札幌に暮す私のご縁の糸は そこから更にとても不思議で とびっきりミラクルな”縁の糸”で繋がっていたようです。
今月の5月3日 気仙沼の実母の13回忌命日のその日 Hさんからまたまたビックリメールが届きました~。
~~~~Hさんのメールより~~
お久し振りです。
(中略)
先日、「虹の旅人ブ」ログの過去のものをちょっとゆっくり読ませて貰っていたら ちょうど震災のあとの写真があって…とてもびっくりしました。
ご実家があったのは鹿折唐桑だったのですね。
その鹿折唐桑駅の看板が うちにかけてあったのでもうほんとにびっくりでした。
旦那さんが震災のあとに岩手や仙台、福島と回ってきてたくさんのオーブが写った写真などを見せて貰っていましたが そのなかで鹿折唐桑地区では駅周辺を中心にたくさん写して来ていました。
片付けていた人達にことわると 「看板を持って行っていいと言われた」と言うことでした。
大切に持って帰って家の壁に飾ってあります。
ほんとなんともいえない不思議な気持ちになりました。
今は駅舎も綺麗になって看板も新しくなってるかと思いますが 虹りんごさんの知る鹿折唐桑駅の看板はここにあります。と伝えたかったので… ~~~
私の実家は今でも鹿折地区にあり 2011年3月11日の震災で第18共徳丸が打ち上げられた 鹿折唐桑駅から500Mの場所です。
20年くらい前に大船渡線の鹿折駅が廃駅候補になった際 ”隣町の唐桑町から遠洋漁業の船員さん達が下船して帰省する折 鹿折駅が廃駅では困る”の申し入れがあり 何らかの支援をして頂き 駅名も「鹿折唐桑駅」と変更され 駅前広場には唐桑町にある”折石”のオブジェが設置されました。
震災時 北海道から陸・海・空全ての交通網が遮断された段階で 私は故郷の気仙沼入りを諦め 遠方から物資支援をしてました。
感動的なHさんのご主人の写真はこちらから→ http://purep.jp/higashihon/kesen/1.html
高次の神様にお任せ”引き寄せ日々”を送っているとはいえ 人生って本当に不思議で面白いです。
~つづく~