虹の旅人

2011年3月11日 故郷が壊滅。 人生はNext Stageへ

江戸時代の伊能忠敬さん こんにちは

2011年3月11日の東日本大震災で家が被災して 塩竈で働く娘のアパートに移住した同郷の気仙沼友人を訪ねて 一緒にご参拝に行ったのが宮城県一の宮塩竈神社
 
塩竈神社の御由緒・ご祭神より~
武甕槌神(茨城県鹿島神宮主祭神)・経津主神(千葉県香取神宮主祭神)は共に高天の原随一の武の神として国譲りに登場し、国土平定の業をなした神です。社伝によれば、東北地方を平定する役目を担った鹿島・香取の神を道案内されたのが鹽土老翁神の神であり、一説には神々は海路を亘り、七ヶ浜町花渕浜(現在の鼻節神社付近)からこの地に上陸されたと言われ、又鹽土老翁神はシャチに乗って海路を渡ってきたと言う伝えもあります。
 
やがて鹿島・香取の神は役目を果たし元の宮へ戻りましたが、鹽土老翁神は塩釜の地に残り、人々に製塩法を教えたとされています。塩釜の地名の起こりともなっております。
 
 
塩竈神社神社の御由緒書きで知った 大神様の命により東北の国土平定し 後に茨城や千葉に戻った神様に「もう一度東 北復興をお願いをしよう!!」と訪ねたのが 同年11月11日。
 
在来線を乗り継いで香取神宮の最寄り駅「佐原」に降り立った私が 最初に目にしたのが「伊能忠敬のふるさと」のポスター。
イメージ 1
酒造業当主の座を家督に譲り 50歳で趣味の天文と暦学を学ぶために江戸に行き 師匠に認められて日本地図作製の実測旅に出たのが 平均寿命が今よりかなり短かい時代の55歳。
 
趣味の延長で資格を得て 50歳を境にインテリア業に人生をリ・スタートした私は 勝手に伊能忠敬さんに親近感を抱いてました。
その私が 思わぬ土地で 「伊能忠敬さんに出会ったのですから・・・」 感慨深いのです。
 
時間があったら 是非「国宝級の伊能忠敬資料館」を見てみたいと思うものの 生憎雨が降り出しそうな空模様。
 
本数の少ない列車に乗り遅れたら 宿泊先の東京に着くのが遅くなると思い 駅前からタクシーを飛ばして香取神宮へ。
故郷。気仙沼人所縁の御神木や日本の要石をお参りして 山門前にポツンとあった公衆電話ボックスからタクシーを呼んで佐原駅までトンボ帰り。
 
途中 運転手さんにお願いして 掘割沿いに建つ風格ある伊能忠敬さんが暮した商家”伊能邸”を どうしても見たくて 数分停車して貰いました。
東日本大震災に伊能邸も被災していて 屋根の瓦が落ちていて ブルーシートが張られて立ち入り禁止。
 
裕福な商いを営み 土地の功労者としても人望を集めていた初老の忠敬さんが 趣味が高じたとはいえ 何故に困難な日本実測の旅に出たのか?
 
あの美しい町並みを見ているだけに 悠々自適で過ごせるはずの50歳からの余生を家族から離れて 遠くの山や島を基点にして"地を測り" 夜は天体観測で"天を測る"日本を巡る旅に没頭したことが謎です。。
 
もしかしたら伊能忠敬さんも 佐原の町で今生を送りつつ 地を結んで天を仰いで繋いだ先にある星に  自分が生まれて来た目的を問いかけた。
やがてそのうちに 「"遠い過去の記憶"が呼び起こされ 本来の魂テーマに目覚めて旅に出た・・・。」と そんなことを私は想像をしております。
 
イメージ 2
※ 20年前に骨董屋で購入して 仕事部屋に飾られているMy「半円方位盤」