虹の旅人

2011年3月11日 故郷が壊滅。 人生はNext Stageへ

家終い 新たな神祀り

 私が 「気仙沼の実家の取り壊されて更地になっている」と 衝撃的な事実を知らされたのは7月1日。
それは 毎年の来道の度に 実家の全景撮影を頼んでいた同級生・K氏からの電話で。
 
実家の取り壊し計画は2年半前からあり 父親の施設入所後に妹から 「東日本大震災の被災地・気仙沼では 復興事業が最優先のため 家屋の解体業者が見つからない。 地元の業者に仕事依頼をする場合は 冬の閑職期になる」とは 聞いてました。
           2016/12/8 →家じまい そして神祀りじまい
 
それから2年後の今年1月。
地元の解体業者さんが近所の休耕田を借りて 取り壊してくれました。
 
人間が住まなくなった山沿いの家は 小動物が荒らしていたようで これで良かった。安心したと思う反面 北海道に嫁いで40年近い私と 故郷・気仙沼との関わりが 終わったような寂しさもあります。
 
我が家には 家を解体する他に 岩手・宮城・秋田の三つの県にまたがる栗駒山頂の 駒形神社を勧請した一間幅の大きな祭壇があり この祭壇で祀っていたご神体と ご神鏡をどうするかの問題もありました。
 
栗駒山の麓の小さな村で 代々庄屋兼神主をしていた生家が祀っていた駒形神社を 45歳で神様に呼ばれて”神様憑き”となった祖母が 当時修験者の間でも霊能者と敬われていた実兄の元で修行して 霊能力を開花した後 気仙沼の自分の家に勧請して祀ったものです。
 
祖母の死後 父母が暮らす実家の祭壇からは 神様の気配とご利益は薄くなっていたのですが 震災後に父が一人で暮す実家には 既に神様の気配が全くありませんでした。
 
長女でありながら遠方に嫁いだ私に 実家の”駒形様”と呼んで親しんだ 駒形神社の今後に口出す余地は無いけれど ”天地開闢時に 最後の5柱目として現れた 別天津神(ことあまつかみ)・天之常立神が その駒形神社に祭神として祀られていることを知るのは 唯一身内の中で私だけです。
 
実家を取り壊す前に この高格な神様達を 何とか残したいと考える私の元に
神様達から  
~~「お前が迎えにくるまで 神々は駒形神社で待っている 形あるものより 形あらぬのものを受け継げ」~~と メッセージが降ろされました。
              2017/2/7 →家じまい そして神祀りじまい  Ⅲ  
 
果たして ”形あるものとは何!! 形あらぬものとは何!!”  とあれこれ悩み”神と意”しているうちに 指定された 昨秋の”その日 その場所”に私達夫婦は ”天之常立神様”を お迎えに行きました。
  
生まれた土地との縁が薄くなっても 守護して頂く神様と 新たなご縁を繋ぎました。
 
イメージ 1
 2018・11・27 稲佐の浜 神迎え祭