虹の旅人

2011年3月11日 故郷が壊滅。 人生はNext Stageへ

かつて三陸沿岸部にあった風習 ”口寄せ” ~覚え書~

 
この記事を書いた後 
「亡くなったばかりの人のメッセージを降ろすなんて 縁ある方だから”口寄せ”をしてしまった・・・」と 苦笑いをしてました。
 
息子のお嫁さんのお祖母ちゃんは  私が気仙沼の霊能家系の資質者と知った上で 東北訛りのズーズー弁が理解出来ることを承知で 話かけて来たのではないか!?
住んでいた土地が   三陸沿岸部の山を越えた岩手側だから たぶん”口寄せの風習”を知っていたのでは・・・と思いました。
 
そもそも”口寄せ”とは・・・かつて三陸沿岸部に伝わる風習。
拝み屋さんやイタコと言われ人を呼んで</亡くなった人の魂を降ろしてました。
 
神道系の霊能家系に生まれて修行を積み 後に宗教尋問も受けた一緒に暮らしていた祖母は 拝み屋とかイタコと言われることを嫌ってましたが なのに私が”口寄せ”の場面を初めて見たのが その祖母の葬儀後。
 
当時19歳の私は 大人たちのすることを隣の部屋から興味深々に眺めてました。
 
葬儀の翌日 裏方として手伝ってくれた町内の女たちを集めて 数少なくなった拝み屋のお婆ちゃんを あちこち連絡して家に呼びました。
 
拝み屋のお婆ちゃんが真ん中に正座して 7・8人の女たちで円く取り囲み 何かを唱えながら長い数珠を7回半廻して ”降霊”させたと思います。
 
 
口寄せが終わって拝み屋婆ちゃんが帰った後 残った女たちは”お茶っこ飲み”をしながら 
「今日の”口寄せ”で出てきたのは ご先祖さんだとか・・・。 義父母の口癖や身振りに似ていたとか・・・。 あまり似ていなかったとか・・・ 」それぞれに語ってました。
 
そのときの拝み屋のお婆ちゃんは 当たり障りのない無難な言葉を降ろし 依頼があれば明確な言葉を降ろして 具体的なアドバイスしていた霊能者の祖母のしている内容と違ってました。
 
そもそも祖母は 「亡くなって直ぐの人 を呼ぶのはダメだ。せめて成仏した100日過ぎてから」と 亡くなった人への関わり方も否定していたので 繋がっていた次元や周波数も違っていたと思います。
 
そのことが理解できたのは ずっと後になってからで 私が祖母と同じ系統の者だったと知ってからでした。