虹の旅人

2011年3月11日 故郷が壊滅。 人生はNext Stageへ

元ボスから 遺言電話がかかって来た

 16日は羽田に到着後 その足で穴守稲荷神社にご参拝に向かえば 境内は改修中で
会いたかった子どもの狛稲荷様は 仮の場所でシート下に潜んで姿を見ることが叶わず。
諦めきれずに長時間その場にいたせいか 子ども稲荷様の幼い悲しみに同調してしまった私は非常に疲れて 早々にホテルにチェックインして休んでいると 創業社長で現在は相談役のY氏から一年ぶりに電話が。
 
Y氏は14年前 ICの資格はあるけれど実務経験の無い私を 北海道の担当者として採用してくれた恩人でもあります。
 
電話で業務連絡をする内に 私には天性の勘の良さがあることにに気づき「運と動物的な勘の良さで 業界を生きて来た俺も驚く程 勘がいい女性だ。 物ごとの着地点を見通している!!」と褒めてくれ 本社では語らない事情も来札の折に 常々語って教えてくれました。
 
その日は 「65歳過ぎて判断力が鈍ったTOPが企業に居座ってはならぬ」と 7年前に現役を退き相談役に就いたY氏が 北海道の業績低迷を案じて「打開策を講じた」と連絡をくれたのです。
「業界も危機感が無く 関わっている取引先は先細りだな」と心配してましたが 「そこがダメになれば 北海道だけでなく業界全体がダメになります!!」と答えて 15分程話しました。
それにしても”妙な時間帯に電話をかけて来たものだ”と ずーっと気になってました。
 
ホテル宿泊したその夜は 枕の上で小さな稲荷様たちがバタバタ駆け回る音や これまでの守護霊と格上げになった新しい守護霊が入れ替わる映像を視せられたりで 中々眠れませんでした。
 
翌日17日はヒーリングのノウハウを学ぶ最後のセミナーで 同じ気仙沼出身で東日本大震災後に葛藤をした方が隣に座り 馴染みだった鹿折のラーメン店で出会っていたかもしれない偶然さに鳥肌が立ちました。
 
帰路の空港搭乗口で届いたメールは 鹿折中学の同級生から”有名な旅行誌に鹿中の震災後に頑張っていた同級生の店が掲載されてる”のお知らせでした。
仕事や故郷の魂テーマが一回りして 新しい地点からスタートをしようとした日に Y氏から連絡があったり同郷の人と出会ったりで 降り出しに戻った感覚で夜遅くに千歳空港に到着。
 
そして翌日午後に開いたパソコンに 「Y氏の訃報」を知らせる社内メールが入っていました。
驚いて本社に連絡をすれば 「Y氏は 17日午後4時30分ごろ 運動をしていて体調が悪くなり そのまま帰らぬ人となりました」とのこと。
Y氏が心臓マヒを起こした時刻は まさに前日東京滞在中の私が連絡を貰った同時刻。。。
 
人の命が儚すぎて様々な思いが駆け巡りましたが 「北海道の拠点を失ってはならない」と語った想いを受け止めて ご冥福を祈りました。
 

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                  ~平成から令和の改元前日~

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