虹の旅人

2011年3月11日 故郷が壊滅。 人生はNext Stageへ

結婚42年日にして 初めての家出

 毎年4月7日の結婚記念日を迎える度に 趣味も価値観も違う私たち夫婦が 「よくここまで持ち堪えているな」の感慨に浸ります。

しかし今年41年目記念日を目前にした3月27日の夜 「世の中 何が起きるか解らない」ことが 私の身に起きたのです。

 

その日は 気を使う仕事相手との交渉をどうにか納めて スーパーに寄って7時半過ぎに帰宅して 遅い夕食を夫婦で摂りました。

夫は毎晩晩酌をするので 早いピッチでお酒を飲んでいたのですが 仕事に疲れた私は会話をすることも無く 上の空で食事を。

ソロソロ就寝の準備をしようとした矢先 70歳近くになってめっきりお酒が弱くなった夫が 些細なことを言い出してつまらない口論になりました。

「今日は ここまで」と止めても 激高した夫は聞き入れず 終いには「あんたが悪いから こうなった!!」と言い募ったのです。

一応 これまで連れ添った縁で 夫とは最後まで添い遂げるつもりでいたのですが 身勝手な言い分を聞いてるうちに 「もういいな!!」と 私の右頭に付いていた”我慢の糸”が プツンと音を立てて切れました。

 

それからが早かった。

機内持ち込み可能な旅行鞄に 着替え・PC・通帳・スマホバッテリーをぶち込んで

軍資金が足りないときの換金用にと ブランド腕時計とダイヤネックレスも追加して 祀っている神様と夫に挨拶を済まし 30分後の夜10時には 家を出てました。

 

子どもたちが近くに住んでいても 幼い子どもがいる家庭に 夫婦喧嘩をした親が夜遅くに行って「泊めてくれ」と言うつもりは無いし その夜の私には 夫の仕打ちを改めて口にする気力も体力も 残っていませんでした。

まさか自分が家を出て 市内のホテルに泊まるとは思ってもいない展開ですが ホテル泊は出張で慣れてます。

コロナ禍で 市内のホテルには空室は多いだろうしと この際だから休養を兼ねて お高めホテルでクールダウンするつもりが 寝る前の準備中だった私は スッピンのまま家を飛び出してました。

マスクをしているとはいえ 60歳過ぎの女が ガラガラ鞄を引いて夜の町を歩けば訝しがられるのは必須。

「落ち着け私!!」と冷静になり その晩は近場のホテルにチェクイン。

42年の年月が 小さな旅行鞄にずいぶんコンパクトに納まったものだと思ったものの 置いて来たものへの未練も 過ぎた日々への思い入れも全く湧いて来ず さっさと眠りに就きました。

 

朝起きてよくよく考えれば 前々日の26日夕方札幌市には コロナ感染による外出自粛制限が出ていて 春休みの最終日曜日に 人の多い市内中心部に近づくのは得策では無く ましてや飛行機や列車での移動はもっての他で その上その日の予想気温は 3月にしては異常に高い18度。

なのに前日の夜9時過ぎ 私が急いで用意した旅の着替え服は 全て冬仕様。

 

短気は損気と仕切り直して作戦変更し モスバーガーを手土産に休日のまったり気分の娘宅に押し掛け その晩はお世話になりました。

翌日は 年度末の仕事に追われる息子夫婦宅に 「たまには母親が 迷惑かけても良いだろう」と 初泊まり。

どう思われようと私には 育てた子どもたちに 伝えておかなければならいことがあったのです。

 

 気温の高い日が続いて 春物の着替えを取りに 夫の留守を狙って自宅に戻れば ことの重大さを察知した老黒猫・りぃちゃん(15歳)が 私が消えた晩から部屋じゅうにゲボ吐きしたようで匂いが満ちてました。

気温上昇で 更に匂いが増した部屋に 夫はひっそり居ました。

 

3泊4日の家出の間 同じ年月を重ねて来た妻を労わることもせず 自分の言い分を曲げられない夫を 案じる気持ちもなれず 一度も連絡を入れなかった私。

夫は慣れない料理を試みたようで 何本かの指を包丁で傷つけたらしく 絆創膏が貼られてました。

私の心の傷に比べたら 「それくらいの痛みは 仕方ないね」と 見ないふりをしました。。。

 

  

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