虹の旅人

2011年3月11日 故郷が壊滅。 人生はNext Stageへ

ママ友が4年間秘していた最愛夫の死 

 

    

 近所の八百屋さんの店内で 長男の小学校入学以来 36年間付かず離れずにお付き合いしていたママ友Nさんと久ぶりに会いました。

別なママ友から昨秋「コロナ禍が明けたら Nさんと3人でお茶しよう!!」と誘われていたけど N宅に足が向かず”件のお誘い”を伝えたのが今回。

 

仕事をリタイアした夫が在宅している場合 妻の外出に良い顔をしない家庭もあるので「我が家の夫は いつでも外出OKだけど お宅のご主人はどう?」と訊きました。

 

するとNさんが「夫は 亡くなったの」と言うではありませんか。

「〇〇さんのことなんだけど(ご主人の名前)」と重ねて尋ねると 同じ返事が。

「え~」です!!

 

「4年前に亡くなり 夫の死が受け入れられず 親しい親戚以外は話してなくて 自分の頭で何も考えられなくなった。そのまま4年を過ごしていた」とのこと。

 

私が「確か4年の間に 2回くらい会って近況報告もしたけど そのとき既にご主人は亡くなっていたの?」と訊けば 「そうなんだけど 言えなかったんだよね」と。

あのとき 長女のお腹が大きかったし その後に会ったときには孫・雪ちゃんの初外出時期だったかもと思い出した。

 

お互いの子育て時代には Nさん宅は定時に帰宅するご主人がいて いつも仲良し夫婦。

ご主人の実家から援助を受けて夫の実家近くに家を建て 姑とも義姉とも仲が良くて一緒に買い物に出かける関係。

その様子を ”恵まれた人生を送る人もいる”と眺めていたけれど Nさんにとってそれは当たり前の環境なので 私にも普通に接してくれていました。

当時のNさんの恵まれた環境”を羨しく思う以前に 私には全く縁が無いもので 頻繁に我が家に持ち込まれる夫のモンスター継・義母のトラブルに悩まされながら子育てを。

 

「4年経ったから 夫の死を少し言葉に出せるようになった」と語るNさんは 年月を重ねてもあのときのままで 

あのNさんが ご主人の余命を知ったとき。看取ったとき。

息子二人が本州に住んでいて 老犬と静かな幾夜の越えることを察すれば「どれだけ寂しくて 辛かったでしょう」の言葉しか出てきません。

 

そしてNさんから「あなたは 近くに子どもたちがいて 孫もいる。娘もいるから羨ましい」と言われたけれど 

「ずっと若い頃 私も一人で耐えて越えた時期があったの。今は少しだけ良い思いをさせて貰っているだけ・・・」と伝えました。

 

「ご主人が亡くなったことを知ったから これからは家も近いし 手伝えることもある。やがて町内の老人施設で会うかもしれないから仲良くしよう!!」と 60代のママ友同志はそう言って別れました。

 

12年前 東日本大震災で故郷の人たちが被災したとき 家の不用品や売れ残りの高級下着を持参する心無い人たちの善意に失望し 自分の小遣いで食料品や子どもたちに必要な道具を買って 鹿折地区の避難所に支援物資を送っていました。

そのことを 通りがかりのNさんが知り「むき出しで悪いけど お見舞金として使ってほしい」と お財布から五千円札を取り出して渡してくれました。

支援物資の送料が嵩んでいたので 有り難く使わせて貰いました。

あのとき躊躇することなく男前の行動を取ったNさんの素敵さを 私は忘れていません。

 

          

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