虹の旅人

2011年3月11日 故郷が壊滅。 人生はNext Stageへ

50年前 友と交わした約束を叶えてくれた男子と再会

 

                                 

 旧友S子ちゃんからのその電話は 日ハム新球場・初エスコンで応援観戦中にかかってきました。

急ぎの要件じゃないとのことで 帰宅後に電話をかけると

「K(息子の名前)がね.。 何かのイベントで札幌に行くみたいなんだけど 良かったら行ってくれないかしら」の嬉しいお誘い。 二つ返事で快諾。

親たちがイベント情報を知らなくても 子どもたちがネットリサーチすれば K君の情報がたちまち送られてきて「トークイベントショー」は 札幌市内でスポーツカメラマンと行われるらしい。

 

現在K君は現役を退き ラグビー解説や広報活動をしていますが 高校・大学・社会人・全日本と常勝ラグビーチームに所属したこれまでと 引退前のアメリカチームから眺めた日本ラグビーのこの先を カメラマンのイワモトアキトさんと掛け合いで話してくれました。

 

中学になって鹿折に引っ越して来たK君の母親S子ちゃんとは 2年のとき一緒のクラスになって 帰る方向が同じなので仲良くなり クラスメイトのO君も交えて3人で楽しく遊んでました。

 

50年以上前 宮城県の高校は男女別学が多く O君は男子高のラグビー部に入部し  田舎の女子高の暇な部活に入部したミーハー女子2人は いつも連れ立ってO君のラグビー部を勝手に応援してました。

そのうちラグビー競技そのものが大好きになり テレビや雑誌で観る早稲田ラグビーの宿沢さんや藤原さんのファンに。

 

その頃だったと思います。

「将来自分たちが結婚して 男の子が生まれたらラグビー選手にしたいね!!」と熱く夢を語り合い S子ちゃんは 地元で就職後に結婚しても気仙沼にずっと在住。

私は東京を経て 遠い札幌に嫁ぎました。

 

お互いの子供が少し成長した30年前 S子ちゃん一家が札幌の雪まつり観光に来て 我が家に3連泊。

姉と兄がいる3番目の体格の良い8歳のやんちゃなK君を「鹿折実家近くの公園で練習する”気仙沼唯一のラグビー少年団”に 春から入れてる」と聞き 長男がサッカー少年団に入ったばかりの私は「S子ちゃんの子どもが ラグビーを習う!!」と喜んだのです。

 

あれよあれよと言う間に K君は高校時代に花園大会に出場して早稲田大へ。

続く社会人ラグビーサントリーで活躍し 常に全日本選手に選抜されて 身内の子どもを見守るように応援してました。

2011年3月 家が震災で全壊した辛さを知っていたものだから 15年W杯イングランド大会で 日本代表が南アフリカに勝利した名勝負を S子ちゃん家族が現地観戦した年賀状が届いて 嬉しくて直ぐに連絡。

 

トークの中で K君が「ラグビーを始めたきっかけが 母親がラグビー好きで 最初から早稲田ラグビーに入れと言われ続けた」と話したので 高2のときの私たちの約束をS子ちゃんは覚えていた。と思って聞いてました。

イベントが終わり K君と少し話をして記念写真を撮った後「いつかまた お父さんをお母さんを札幌に連れて来てね」とお願いしました。

その日のうちに S子ちゃんには「あなたの息子は グローバル視野で日本のラグビー界を これからもけん引して行くよ。自慢して良い息子だよ。S子ちゃんとK君のお陰で 私もラグビーを楽しんでる!!」と報告。

 

2023年9月の「ラグビーW杯フランス大会」に向けて 芸人並みの話術を備えたK君は ますます忙しくなることと思います。

        

                 ※ コーヒー好きと知り お土産は丸美珈琲の焙煎豆

 

nijinoringo.hatenablog.com