虹の旅人

2011年3月11日 故郷が壊滅。 人生はNext Stageへ

被災後の希望の光・・・

 震災が起きた3月11日が近づくと マスコミだけでなく 関わった人達が妙に落ち着かない気分になっています。
私のように実家が半壊しても思うのですから あれだけの震災を早々に吹っ切れる人ばかりでもありません。
 
実際被災した親友のMちゃんは 旦那さんのバイト先が広島のデパートへ出店するということで 土日手伝をしていた彼女に 急遽相棒として白羽の矢が立ち 広島に行くことになりました。
 
気仙沼で何不自由なく暮らしていた親友には 毎日同じ朝食のビジネスホテルと出店先だけの 往復8日間の勤務は辛かったと思います。
 
最後の日 雇い主側の配慮で 広島市内の観光許可が出たそうです。
 
何の心の準備もせず原爆ドームに行き 原爆資料館の入り口で 「 ”あの日”が甦がえってダメだった~(涙)」
 
 「人工的な原子力爆弾と 天災の東日本大震災とは違うはずなのに 全て燃えた鹿折地区の光景が 当時の広島と同じだったの。」
 
「それでも広島の街は復興したんだよ。気仙沼も年月がたったら復興して 自分が生きているうちに鹿折地区に戻って また住めるのかな。」
 
「岩手に戻る前に宮島の厳島神社で 結婚式を2回見て 今度は娘の結婚式かなって 少し希望が持てたんだよね・・・」
 
 「なんで自分達夫婦が広島に来て 原爆資料館に行ったり 海の中の厳島神社行くんだろう。って思ったんだけど 前を見て歩くことを知るために 呼ばれたのかなって思ったんだ!!」と 避難した丘の上から 自分達の家が燃えるの見ていた親友が 電話の先で言ってました。
 
 
2年過ぎてようやく 気持ちの戸惑いを口の出せるようになった 50年来の親友Mちゃんはあの日 実家のお母さんが心配で 海岸に向って走ったのです。
 
3秒差でお母さんが乗る車に危機一髪で乗りこんだので「生きてくれただけで ありがとうだよ。」と 私が言うと
 
「こちらこそ私のような者に そう言ってくれてありがとう。」と 親友は静かな声で答えます。
 
 2011年3月11日夜 三陸地方は雪。
 
今年の3月11日は 被災した土地の方々の気持ちが和むように 穏やかな晴天でありますようにと願います・・・

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