虹の旅人

2011年3月11日 故郷が壊滅。 人生はNext Stageへ

札幌市内の店頭から卵が消えて2か月 

2月頃 優良栄養食材の卵の価格が安すぎると全国ニュースで流れて 生活者としては値上げは困るけど 養鶏場の方々の手間や暇や 爆上がりしている飼料や電気代などのコストを考えれば仕方がないことかも・・・とそう思ってました。

 

1か月も経たない内に 鳥インフルエンザが何度か千歳方面に発生して 鶏が計120万羽殺処分されました。

徐々にスーパーに並ぶ卵の数は減っていたのですが 近くの八百屋さんで売っていたので シニア夫婦の我が家は気にしてませんでした。

4月に入って 有名サンドイッチ店の”卵サンド”や うどん店の美味しい親子丼メニューが消え 身近な人たちが「卵が買えない!!」と言い出して ことの深刻さを実感。

 

5月のGW明けには卵の出荷停止が解除され 業務用卵の入手は大丈夫になったのですが 未だ札幌市内のスーパーの開店時には 卵を求める市民の長蛇の列ができています。

一人1パックのみの限定で 売り切れ次第終了。その時間枠を外したら卵難民に。。。

 

殺処分の多かった千歳方面の鶏の卵が 札幌市内に大量に出荷されていたための不足現象で 鶏が育って卵を産むまで半年以上を待つしかないとしても 食生活に与える影響は大きいです。

”長期化している卵不足対策”を話題にする地元マスコミも少なく 手をこまねいてる状態ですが たぶん全国的には知られていない「札幌の卵不足問題」だと思うのです。 

いつでも卵が買えるように 改善してほしいのですが。

 

        

     ※ 鶏卵売り場に置かれていた うずらの卵パックをひとまず購入

 にほんブログ村 その他日記ブログ 日々のできごとへ

 

 にほんブログ村 ライフスタイルブログ 60代 自分らしさへ 

ランキングに参加しています。

ポチ押してもらえたら嬉しいです。

間に合わなかった孫の春ニット帽子

         

 5年前 長男家の孫・花ちゃんの薄い髪の毛が 春の冷たい風に触れぬよう 緩く編んだ”帽子&マフラー”の黄色い毛糸が残ってました。

nijinoringo.hatenablog.com

長女家の孫・雪ちゃんの髪の毛も薄く 昨年秋 外出や夜の冷えに備えて 可愛いニット帽を編むつもりでいたら 長女から「シンプルに・・・」と言われ 意欲を削がれた私は帽子編みを中断。

 

春になって雪ちゃん本人から「雪ちゃんの黄色い帽子は まだできないの?」と問われて再開したのものの 半年以上空いた毛糸の網目は不揃いで気にいらず ほどいて最初から編み直し。

   

ここまで来たら「作る方も楽しみたい!!」とばかりに 私のセーターに付いてたミモザのビーズ刺繍を貼りました。

妥協した長女からは 天辺には”初ニット帽子と同じく玉ねぎリボンを大きめに”とオーダーが入り 雪ちゃんイメージの”ペールブルーリボン”を探して ようやく完成。  

 

nijinoringo.hatenablog.com

 

雪ちゃんの母親・長女がそうだったように やがて「シンプルなものや モノトーンが好み」と言う日が来るだろうから・・・孫たちが幼いうちに 綺麗で可愛い小物を身に付けてほしい。と思っているのです。

 

「時期が遅れて ごめんなさい!!」だけど こんなこともあろうかと 編み直しのときに少し大きめサイズにしているので 今年の秋に被ってほしいです。

        

 にほんブログ村 その他日記ブログ 日々のできごとへ

 

 にほんブログ村 ライフスタイルブログ 60代 自分らしさへ 

ランキングに参加しています。

ポチ押してもらえたら嬉しいです。

17歳の高齢猫・りぃちゃんが 謎の痙攣

         

 先日朝7時 突然ガタンという大きな音がして 布団の中だった私が慌てて飛び起きると 夫が痙攣した高齢猫・りぃちゃん(17歳♀)を抱えてオロオロ中。

 

原因が分からずとも目の前で 人間年齢なら80歳を越えてるりぃちゃんが ガクガク痙攣して手足を強張らせてる。

夫の手から静かに絨毯の上に降ろしてもらい 名前を呼びながら りぃちゃんの呼吸に合わせて 手の平で静かに身体をさすり続けました。

そのうちだらりと開いていた口元が閉じられて 約2分後にはガクガク痙攣が治まり まずは一安心。

夫に直前の様子を聞くと 餌を食べようとして前方を見た途端 怯えた様子で走り出し 勢いで椅子を倒して壁にぶつかって痙攣した。とのこと。

 

これまで病気らしい病気をしたこともなく 健康で手のかからないりぃちゃんに 一体何が起きたかは謎だけど その後は平常に戻って昼寝をしてました。

 

寒暖差の大きい北海道のこの時期 いつもなら高齢りぃちゃんのために ストーブのタイマーをセットして部屋を暖めていたのですが その日は予想気温が24℃と言うことで タイマーセットをしていませんでした。

 

朝の室内気温が低く過ぎたのかもと 私たち夫婦は「猫がかすがい」とばかりに かいがいしくりぃちゃんを労わりました。

 

「高齢猫の痙攣」で調べてみると 猫の痙攣は珍しいことではないらしいけど 今度痙攣を起こしたら動物病院に連れて行き 検査をして貰うつもりです。

 にほんブログ村 その他日記ブログ 日々のできごとへ

 

 にほんブログ村 ライフスタイルブログ 60代 自分らしさへ 

ランキングに参加しています。

ポチ押してもらえたら嬉しいです。

 

母の日プレゼントは 穏やかなドライブだった

 5月に入って庭作業に励む私の要望で 花苗やら肥料購入時に車を出してくれる夫は 園芸には全く興味がないので いつも駐車場で待っています。

行けばつい時間が長くなり「待たせてごめんなさい」と思っていたら 「余市・丸福にナポリタンを食べに行かないか」と夫から誘われて 2人で行くつもりが長女家族も「車を出すから」と一緒に参加。

海を望むレストラン・丸福の 昔ながらの鉄皿に盛られたケチャップたっぷりのナポリタン(¥750)を食べて 味の好みが同じ夫も娘婿も満足げ。 

 

海は青く穏やかで シリパ岬の奥に見える雪が残る積丹岳は美しく 惹かれるように足を延ばして日帰り温泉「岬の湯」へ。 

途中 突然現れた 黄色に染まった道端の菜の花畑が素晴らしかったです。

 

思いつきで巡ったドライブの帰路車中 「そういえば今日は 母の日だった!!」と長女が思い出して「プレゼントは何が良い?」と聞かれたけれど 「今日みたいに穏やかで 幸せな時間を貰っただけでて十分」と答えてました。

 

 にほんブログ村 その他日記ブログ 日々のできごとへ

 

 にほんブログ村 ライフスタイルブログ 60代 自分らしさへ 

ランキングに参加しています。

ポチ押してもらえたら嬉しいです。

50年前 友と交わした約束を叶えてくれた男子と再会

 

                                 

 旧友S子ちゃんからのその電話は 日ハム新球場・初エスコンで応援観戦中にかかってきました。

急ぎの要件じゃないとのことで 帰宅後に電話をかけると

「K(息子の名前)がね.。 何かのイベントで札幌に行くみたいなんだけど 良かったら行ってくれないかしら」の嬉しいお誘いで 二つ返事で快諾。

親たちが詳しく知らなくても 子どもたちがネットリサーチすれば たちまち情報が送られてきて「トークイベントショー」は 札幌市内でスポーツカメラマンと行われるらしい。

 

現在K君は現役を退き ラグビー解説や広報活動をしているけれど 高校・大学・社会人・全日本と常勝ラグビーチームに所属したこれまでと 引退前のアメリカチームから眺めた日本ラグビーのこの先を カメラマンのイワモトアキトさんと掛け合いで話してくれました。

 

中学2年生のとき K君の母親S子ちゃんは 鹿折中学校の私がいるクラスに転校して来て 帰る方向が同じだったので仲良くなり クラスメイトのO君も交えて3人で楽しく遊んでました。

 

50年以上前 宮城県の高校は男女別学が多く O君は男子高のラグビー部に入部して 田舎の女子高の暇な部活に一緒に入部したミーハー女子2人はいつも一緒で O君のラグビー部を勝手に応援してました。

そのうちラグビー競技そのものが大好きになり テレビや雑誌で観る早稲田ラグビーの宿沢さんや藤原さんのファンに。

 

その頃だったと思います。

「将来自分たちが結婚して 男の子が生まれたラグビー選手にしたいね!!」と熱く夢を語り合い S子ちゃんは 地元で就職して結婚しても気仙沼に在住。私は東京を経て 遠い札幌に嫁ぎました。

 

お互いの子供が少し成長した30年前 S子ちゃん一家が札幌の雪まつり観光に来て 我が家に3連泊。

姉兄の3番目で8歳の体格の良いやんちゃなK君を 「鹿折実家の近くの公園で開かれる ”気仙沼唯一のラグビー少年団”に春から入れる」と聞き 長男がサッカー少年団に入ったばかりの私は「S子ちゃんの子どもが ラグビーを習う!!」と喜んだのです。

 

あれよあれよと言う間に K君は高校時代には花園大会に出場して早稲田大へ。

続く社会人ラグビーサントリーで活躍し常に全日本選手に選抜され 身内の子どもを見守るように応援してました。

一番驚いたのが 15年W杯イングランド大会で 日本代表が南アフリカに勝利した名勝負を S子ちゃん家族が現地で観戦していたこと。

2011年3月 家が震災で全壊した辛さを知るだけに 届いた年賀状が嬉しくて直ぐに連絡。

 

トークの中でK君が「ラグビーを始めたきっかけは 母親がラグビー好きで 最初から早稲田ラグビーに入れと言われ続けた」と話してて 高2の約束をS子ちゃんは覚えていた。と思って聞きました。

終わって K君と少し話をして記念写真を撮った後「いつかまた お父さんをお母さんを札幌に連れて来てね」とお願いしました。

その日のうちに S子ちゃんには「あなたの息子は グローバル視野で日本のラグビー界を これからもけん引して行くよ。自慢して良い息子だよ。S子ちゃんとK君のお陰で 私も楽しんでる!!」と報告。

 

2023年9月の「ラグビーW杯フランス大会」に向けて 芸人並みの話術を備えたK君は ますます忙しくなることと思います。

        

                   ※ コーヒー好きと知り お土産は丸美珈琲の焙煎豆

            

2023年5月1日「天使が遊ぶ庭」始まる

    

   

 今年は全国的に桜の開花が早く 札幌も例年より2週間早い4月中旬に開花。

開花後に急に気温が下がって肌寒くなり 右足の痛みが残る私は「今無理をしたら この先庭作業ができなくなりますよ」の整体先生の言葉に従って自重。

 

ガーデニング仲間たちは 私が「きっと 庭作業を始めている!!」と思ったらしく 何人か見庭来ていたのですが 逸る気持ちがあっても 地球温暖化の不順な天候に慣れた人間の肌感より 草花の内蔵プログラムに合わせて作業する方が良いと思っています。

 

2021年12月 宿根草のガーデンデザイン(中級・上級者編)を学ぶ中で 自然植生をモデルにした「ナチュラリステイック・プランディング」と言う 植栽デザイン手法を取り入れた「メドウガーデン」という言葉に出合いました。

私の庭「天使が遊ぶ庭」は 「自然界に野の花が咲いているような庭」にしたいと願って始めたので 「メドウガーデン」という学術的な名称を知り 毎年5月1日を庭始めと決めました。

 

手入れをする主がいなくても 越冬バンジークリスマスローズは 春一番に目覚めて元気に咲いてます。

      

                         ※ オリエンタリス 黄スポット

 

※ ダブル ”ピコティ

     

※ クリスマスローズが好きで 見かける度に購入してました。

  

 ※ プリムラ デンテェクラタ ブルー   ※ ラシルスベルヌス ”レインボー” 木立ちスイトピー

※ 越冬したパンジーと富山チューリップ

 

~~小さな宿根草庭に「天使が遊ぶ庭」と名付けた理由~~

私の生家は代々霊能家系で 祖母は三陸の町で 神様の言葉を降ろして人々に伝えてました。
その町は2011年3月に壊滅し 震災で半壊していた生家は2018年に更地に。
 
その頃には 自分にも”神様と対話する能力が備わっている”ことを自覚していた私は 生家の神様を祀っていた”大きな祭壇”が失われることを案じて 守護神様に”神と意”をしたのです。
 
するといつもの守護神様が
「形あるものは受け継がず 形の無いものを受け継げ!!」と伝えてくれました。
 
それなら生粋の能力を活かして 北海道の自宅庭で神様や龍神と対話することを受け継ごう!!」考えて
「どんな庭にしたら 神様たちがお立ち寄りになりますか?」と訊ねると 上の方から「天使がーーー庭」と聴こえました。
 
よく聴き取れ無かったので 「天使が遊びに来る庭ですか?」と聴き返しますと 苛立った守護神様の声で 再びぶっ!!」と 聴き取れなった箇所だけの訂正が入りました。
 
そういう訳で 案内役の天使が遊ぶような庭であればおのず・・・との神様の意図を汲み『天使が遊ぶ庭と名付けました。 

 

nijinoringo.hatenablog.com

 

 にほんブログ村 その他日記ブログ 日々のできごとへ

 

 にほんブログ村 ライフスタイルブログ 60代 自分らしさへ 

ランキングに参加しています。

ポチ押してもらえたら嬉しいです。

ママ友が4年間秘していた最愛の夫の死 

 

    

 近所の八百屋さんの店内で 長男の小学校入学以来 36年間付かず離れずにお付き合いしていたママ友Nさんと久ぶりに会いました。

別なママ友から昨秋「コロナ禍が明けたら Nさんと3人でお茶しよう!!」と誘われていたけど N宅に足が向かず”件のお誘い”を伝えたのが今回。

 

仕事をリタイアした夫が在宅している場合 妻の外出に良い顔をしない家庭もあるので「我が家の夫は いつでも外出OKだけど お宅のご主人はどう?」と訊きました。

 

するとNさんが「夫は 亡くなったの」と言うではありませんか。

「〇〇さんのことなんだけど(ご主人の名前)」と重ねて尋ねると 同じ返事が。

「え~」です!!

 

「4年前に亡くなり 夫の死が受け入れられず 親しい親戚以外は話してなくて 自分の頭で何も考えられなくなった。そのまま4年を過ごしていた」とのこと。

 

私が「確か4年の間に 2回くらい会って近況報告もしたけど そのとき既にご主人は亡くなっていたの?」と訊けば 「そうなんだけど 言えなかったんだよね」と。

あのとき 長女のお腹が大きかったし その後に会ったときには孫・雪ちゃんの初外出時期だったかもと思い出した。

 

お互いの子育て時代には Nさん宅は定時に帰宅するご主人がいて いつも仲良し夫婦。

ご主人の実家から援助を受けて夫の実家近くに家を建て 姑とも義姉とも仲が良くて一緒に買い物に出かける関係。

その様子を ”恵まれた人生を送る人もいる”と眺めていたけれど Nさんにとってそれは当たり前の環境なので 私にも普通に接してくれていました。

当時のNさんの恵まれた環境”を羨しく思う以前に 私には全く縁が無いもので 頻繁に我が家に持ち込まれる夫のモンスター継・義母のトラブルに悩まされながら子育てを。

 

「4年経ったから 夫の死を少し言葉に出せるようになった」と語るNさんは 年月を重ねてもあのときのままで 

あのNさんが ご主人の余命を知ったとき。看取ったとき。

息子二人が本州に住んでいて 老犬と静かな幾夜の越えることを察すれば「どれだけ寂しくて 辛かったでしょう」の言葉しか出てきません。

 

そしてNさんから「あなたは 近くに子どもたちがいて 孫もいる。娘もいるから羨ましい」と言われたけれど 

「ずっと若い頃 私も一人で耐えて越えた時期があったの。今は少しだけ良い思いをさせて貰っているだけ・・・」と伝えました。

 

「ご主人が亡くなったことを知ったから これからは家も近いし 手伝えることもある。やがて町内の老人施設で会うかもしれないから仲良くしよう!!」と 60代のママ友同志はそう言って別れました。

 

12年前 東日本大震災で故郷の人たちが被災したとき 家の不用品や売れ残りの高級下着を持参する心無い人たちの善意に失望し 自分の小遣いで食料品や子どもたちに必要な道具を買って 鹿折地区の避難所に支援物資を送っていました。

そのことを 通りがかりのNさんが知り「むき出しで悪いけど お見舞金として使ってほしい」と お財布から五千円札を取り出して渡してくれました。

支援物資の送料が嵩んでいたので 有り難く使わせて貰いました。

あのとき躊躇することなく男前の行動を取ったNさんの素敵さを 私は忘れていません。

 

          

 にほんブログ村 その他日記ブログ 日々のできごとへ

 

 にほんブログ村 ライフスタイルブログ 60代 自分らしさへ 

ランキングに参加しています。

ポチ押してもらえたら嬉しいです。