虹の旅人

2011年3月11日 故郷が壊滅。 人生はNext Stageへ

東日本大震災 2013~

東日本大震災から13年 

あの日から13年。 この日は私にとって忘れられない大事な日。 先日 気仙沼に住んでいる同級生と電話でオシャベリしていたら 地元に住んでいると 当たり障りの無い話でお茶飲みをすることがあるようで 遠方に住む私なら話が漏れず無いと思われていて 自分の…

85歳の写真家デビュー知らせと 新年の気仙沼湾

年末に届いた嬉しい知らせは 2005年5月に黄金の竜神の「夢のお告げ」に導かれ 辿り着いた霊島・金華山で出逢った三上義弘さんから。 19年前に初渡島したその日は 金華山黄金山神社の初巳大祭で 夢で観た「黄金龍神が天高く舞い上がるご神事」が この…

3月11日 12年目の祈り

東日本大地震から気仙沼市・鹿折地区に生まれ者として 「3月11日 午後2時46分」に 三陸から遠い札幌で祈りを捧げることを 自分に課してました。 震災から12年目にして 本日は仕事だったので 社員食堂にある映りの悪いテレビを観ながら 2時46分に…

東日本大震災から11年目の祈り

震災後の10年から11年目の1年の間に 故郷・気仙沼は朝ドラの舞台にもなり 色んな番組でも見かけるので 復興した観光地として売り出しているみたいです。 5年前の同級会で帰ったきりで 気仙沼が画面に映る度に 知らない町を辿るよう私はテレビに見入り …

気仙沼湾を渡る「かなえ大橋」開通

3月6日 三陸沿岸道路「気仙沼港IC~唐桑半島IC」開通式が行われました。 夜には 気仙沼湾横断橋〈愛称・かなえ大橋)の開通記念の花火大会も開かれました。 リアス式海岸気仙沼湾には 神明崎 柏崎 蜂ケ崎の三つの岬が突き出しているので 三つの脚があ…

東日本大震災から9年を経て

東日本大震災から9年目に「3月11日」が来る数日前。 鹿折小の入学から50年以上の親友Mちゃんから 北海道で拡大中の新型コロナウィルス感染を心配して 電話がありました。 1年半前の胆振東部地震後に 全道停電になったときも電話を来くれて 支援物資を…

東日本大震災から9年

9年経っても忘れられない。 この日に思い出すのは 故郷鹿折唐桑駅に打ち上げられた巨大船・第18共徳丸の姿

東日本大震災から8年 ~日本海沿いにて~

この日が近づく度に落ち着かなくて 今日は 北海道の日本海側に来ています。 海と空の区別がつかない あいにくの空模様。 太平洋側の気仙沼の海の色とは違うけれど 地震発生の2時46分 海に向かって祈りました。

3回目のアイボール会

故郷・気仙沼の居酒屋で 「安波山を守護していた銀龍が あの場所で息絶えた」と私が報告をした後 多くの人命を救った満身創痍の同級生・k君が放った言葉が これからは「猫とアマチュア無線を 生きがいにするわ」でした。

2018年3月11日から

私の3月11日の記憶風化は程遠く 年々悲しみの割合が増し 「できれば 静かに過ごしたい」の気持ちが強くなっています。 家族はそんな私の気持ちを察して そっとしてくれてますが。。。

2018年3月11日のこと

今年の3・11のニュースを いつもより悲しく ボロボロ涙が流れてきて 自分でも戸惑ながら観ています。 年齢のせいかも・・・。 実際の復興が進んでいないことも 復興した町が機能していない切なさもあって・・・ PTSDで涙もろくなっているのかしら。

三陸に春の光を届けよう

3月10日夕方から感じていた不穏なエネルギーの気配が 22日が明けて穏やかになった気がします。 3月11日の前日 魔が通ると言われる黄昏時に現れた光の道と 闇の道の交差点。 どちらの道を選び どちらに進んで行くかは 本人の意識次第。

東日本大震災から 6年を経て

東日本大震災から丸6年。 亡くなった方々がいるご家族には まだまだ悲しみの日々だと思います。 少しは 気持ちの整理はつきましたか・・・。 新たな生活の見通しはつきましたか・・・・。 夜はちゃんと眠れてますか・・・。 そして ご自身のお身体の具合は…

約束の場所 震災から6年

東日本大地震から6年が過ぎて3月に入り 震災復興の番組が多くなりました。 先日”とある番組”に 私が震災の翌年(5年前)に神様に導かれ 過去の記憶を蘇らせて辿り着いた””約束の場所”付近が映りました。 その映像には 地元の女の人達沢山が集い 新しい産…

「明日へのラブレター」展  ~原田ミドー~

会場でお会いしたミドー氏に帰り際 「あの作品を 第18共徳丸が打ち上げられた”鹿折唐桑駅前の跡地”に欲しかった。」と告げました。 すると「大船渡の町を思う 天才的な人がいたからあの作品は完成できました」の返事。

天地返し ~親子魂~

今思えば私が生まれ育った霊能の家というのは 家族・親子の関係が 特別というか 特殊だったと思います。多分・・・。

天地返し

園芸本で見つけた”天地返しが気に入って作業してますが 養分を使い切った土を深く掘り起こし 粘土質の底土に 手でたい肥を刷り込んで混ぜ合わせる。 今まで表面部になっていた土を底にして入れ替えて上下逆にする。 ただそれだけのこと。

故郷を失った者の 3・11の居場所

札幌に住む私は 今年の3・11には人の気配がするけど 一人で過ごせる場所にいて ひっそりしてました。 鹿折地区で被災した同級生も ”あの日”を思い出してしまいそうな 辛い記憶に耐えて 失った方々や 大切だったものを忘れないように ひっそりしてました。…

2016年3月11日(金)

復興途中の故郷・気仙沼市内と 内湾に浮かぶ大島。 海岸沿線には空き地が目立ちますが 内湾中央の鹿折川河口付近の鹿折地区は 更地のみ。 地元気仙沼の同級生や知人達は 自分達のため 後世の人達のために めげずに震災復興に励んでおります。 引き続きのご支…

「SEKAI NO OWARI」 が 気仙沼に来た悲しみ

東日本大震災から5年目の3月11日を明日に控えて 昨年のことを書きます。 震災から4年目を迎えた3月9日。 NHK局アナの有働さんやSMAPをMCに迎えた 震災復興応援番組がありました。 たぶん北島三郎さんもAKB48も SEKAI NO OWARIの皆さんも 被災した…

気仙沼の店「Kーport」

2年前に帰省した際こちらの建物は 俳優渡辺辺謙さんの意向で 建築設計を伊藤豊雄さん。 そして謙さんの気仙沼友人達の共同で「芝居小屋(仮」を建てます。」の看板を出してましたが カフェになってました。 シャレた料理も揃っていて 何組もの家族連れが 楽…

気仙沼の味 ~かもめ食堂~

札幌から遠路はるばる気仙沼の同級会に出席したもので… 。を口実に 美味しいもの大好きな私は お友だちのM子ちゃんと話題の「かもめ食堂」に行きました。タイムリーなことに帰省の一週間前に 気仙沼に「かもめ食堂」が復活したことを情報番組で知り 懐かし…

復旧列車 仙石線

本塩釜に着いて 石巻方面に向かうマンが列車を見送っていたら テールマークに仮面ライダーが描かれてました。 知っていたら ちゃん写真を撮ったのに惜しかった!! 遠い 残念な仮面ライダー画像になりました。。。

奇跡の同級会

あえて奇跡と言わせて頂きます。東日本大震災から間もなく5年。最大の被災地であり 第18共徳丸が打ち上げられた地域にある中学校の卒業生同級会です。自分達が生まれ育った町が壊滅して 地元に残った同級生の殆どは被災して仮設住宅や 鹿折を離れています…

宮古島観光

① 今日は 神様事も自分の用事も無事済ませて 宮古島を観光。② 宮古島の所々の町角に立つ ローカル的に有名な 宮古まもる君。18人兄弟だそうです。③ 前髪パッツンの可愛い子馬は 天然記念物の40頭しかいない宮古馬。④ 宮古島の隠れパワーゾーンの新城おじ…

東日本に甚大な大雨被害

大雨により避難・被災した方々に 災害お見舞い申し上げます。 9月11日東日本大地震から4年半。 自然災害による惨状が続く様に心が痛みます。 昨日は 鬼怒川の堤防決壊で付近の町が水害。 そして今現在 私の祖母・父の出身地の大崎の渋井川の堤防が決壊し…

「100年後のプレゼント」

いつもジャストのタイミングで私に連絡をくれる 天使がそのまま年を重ねたHさんから 「ライブに来ませんか。」のお誘いを受けました。 Hさんの息子・山田秀靖さんは 家庭から出た廃油を車の燃料にして各地を行脚中に 2011年3月11日花巻で震災に合い…

4年前のあのとき ~後記~

お蔭様で「 4年前のあのとき①~⑤+学んだこと」の一連を ようやく綴るこができました。 震災をきっかけにリアルな体験をして様々なことを感じて 自分では何でもないつもりでいても 途中で閉じていた当時の記憶が噴出して 文字にすることが辛かったです。 高…

震災から4年間で 学んだこと

震災発生直後 神様といわれる高次元の存在が 父の安否が確認できないまま仮眠する私を 愛猫の頭を叩く音を立てて目覚めさせて伝えたメッセージは 人間の”想い”と大きな隔たりがあるように感じました。

4年前の3月11日 ⑤

今ここに来て 私が本当に知りたい~未曾有の自然災害が何故三陸に襲来したのか!!~の答えは 神様と言われる見えない存在が教えてくれるものではなく 私達人間側が出すべき答えなのかもしれないと思っています。