つきましては ”ミドーーさんと会って震災時の想いを共有してみて下さい。”と連絡がありました。
hitomiさんが結婚したカメラマンのkenさんが 駅舎解体中の作業者から”鹿折唐桑駅”の看板を譲り受けて自宅に持ち帰っていたとか 2011年6月中旬に私が鹿折に帰省していた折 駅付近で見かけた撮影者の中にいたことなどを後で知りました。
そして今私の手元にある「明日へのラブレター展」のポスターを撮影したのが kenさんこと”河野謙一”さん。
2016・8・28→http://blogs.yahoo.co.jp/applejikan/28206688.html
被災した大船渡にミドーさんがボランティアで通ううち 親しくなった地元の方から”志田秀一さん”を紹介されて志田さんの土地に ”震災の記憶が消えても形が残り その地に人が集まれるような作品を作って欲しい”と依頼がありました。
彫刻家・原田ミドー氏は 気が遠くなる程小さなモザイクタイルをコツコツと貼る作業を 約4年半続けて作品を完成させました。
ミドーー氏の人柄に魅せられた仲間や地元の有志が制作を手伝い 資金も仲間や多くの個人から募りました。
人間の螺旋状DNAをイメージした作品のアーチ状開口部は 3月11日2時46分の太陽の道筋を考えてのこと。
青くうねる波は三陸の海の色。 赤みの強いオレンジ色のタイルは太平洋から昇る朝日の色。
会場でお会いしたミドー氏に帰り際
「あの作品を 第18共徳丸が打ち上げられた”鹿折唐桑駅前の跡地”に欲しかった。」と告げました。
すると「大船渡の町を思う 天才的な人がいたからあの作品は完成できました」の返事。
残念と思う反面 先を見通せる人が住む町と原田ミドー氏が出会ったことも 巡り合わせ・・・。
~それぞれの人たちが空間軸ですれ違い ときには時間軸で重なる~そんな不思議な縁の糸を手繰り寄せる力が働いたからかと思います。
三陸に地に”希望の光”を灯してくれて ありがとうございます