虹の旅人

2011年3月11日 故郷が壊滅。 人生はNext Stageへ

2018年2月11日のこと  ~銀龍発~

 私は 数人と何か事務的な打ち合わせをしている夢を視てました。
そこに突然中年の女性が現れ 自分の近況や能力のことを しきりに話しかけて来ました。
その女性はHさんで 私は「彼女は こんなにおしゃべりだったかしら?・・」とまどろみながらも 朝目覚めてもリアルな感覚だけが残ってました。
 
その日は2月11日。
経験を重ねた私は 自分の感覚を信じるようになっていて 今回は「”夢お知らせが”届いた!!」と思っていました。
 
夢に登場したHさんは 2013年に私が開いた札幌でのお茶会に参加してくれていた方です。
数年後 カメラマンの旦那さんと結婚して 今は埼玉に住んでいたようで ある日 私のブログを読み返して 鉄道好きの旦那さんの部屋にある ” 駅の看板”が 廃駅舎になった故郷の”鹿折唐桑駅のだった。という驚愕のミラクルご縁で繋がるご夫婦です。
                 2016/5/11 →    故郷・鹿折地区からメッセージ
                                   
 
3月11日 1ヶ月前 11日の神様指定の10時半。
感知能力が少し高まったHさんに 「あなたが夢に出てきたけど 何かありましたか?」と 短いメールを入れると 「ピンポイントで ありました」の返信。
 
  ~Hさんの最初メール~
「実は昨夜、旦那さんがが突然体調を崩し 喉だけが異常に痛かった」。
夜中 暗闇の隣の部屋で『ガタン️』という大きな音がしたり 早朝に夢にうなされりしたので 旦那さんがセージを焚いて見回ると ザワザワすると言って指した場所があの看板のところだったとか。

もうその瞬間全部わかりました。。。」
今日は2月11日。

昨年の3月11日は気仙沼の隣町の大船渡に行っていたけど 今年は埼玉の震災の写真の展示会に行くという話をしてたんです。
そんな事を話した今朝の状況で 看板から聞こえて来た声が”私たちを忘れないで・・・”でした。

今年は 鹿折唐桑の看板もみんなに見てもらおうという話になり 皆に知らせようの思いになっていたら 「何かあったの?」と 虹りんごさんからメールが届いて笑っちゃいました。。

  ~Hさんの二通目メール~
看板は主催者の方と話がついて 当日飾って頂けることになったそうです。
埼玉県という離れた場所で あの日の鹿折唐桑を惨状を見ていた駅舎看板が 7年を経てたくさんの方たちに見て貰えるようです。

なんだか切ない思いだけではなく嬉しさも伝わってきます。
あの日あの場所に居た人たちの思いが、今も途絶えることなく皆の胸に刻まれていると改めて思いました。

今回のこの件は 元々感知能力を持っていた二人が結婚して より能力が高まったがために自分達で話し合って解決してくれました。
 
私としては 被災した三陸や故郷・気仙沼・鹿折地区のこと 亡くなった人達のこと等 親身に思ってくれる方々なので本当に有り難く思っています。
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亡くなった人の魂は 自分のことを忘れてほしくないから 魂のメッセージが聴こえる人に あれこれ語ります。
まして自然災害や不慮の事故で 突然亡くなった人の魂は 自分が死んだことが受け入れられないので 余計におしゃべりです。
 
あれから7年。。。
東日本大震災で亡くなった人の魂も 自分達がこの世に存在していないことに気づいや頃です。。。 
 
せめて震災の3月11日だけは 自分達のことを思い出し 沢山語らって欲しい!!と たぶん願っていることと思います。