何年経っても3月11日は 気が重く 節目10年目となれば辛さが増します。
直接の被災当時者ではない私は ”あの日”が人生の分岐点となったをお2人には 毎年連絡を入れます。
知人の Hさんから「鹿折唐桑駅の看板を持参して 気仙沼に向かっている!!」と メールが来たのは前日の10日。
震災発生時から 第18共徳丸が打ち上げられた気仙沼・鹿折地区に 撮影で通い続けて数年後 駅舎が取り壊される場に居合わせた鉄道ファンでもある男性が 駅看板を譲り受けました。
後々 私が開いたスピお茶会参加者だった道内在住のHさんは くだんの男性と結婚して埼玉に住みました。
3月11日に気仙沼に行っても 地元で被災した人達は ひっそり過ごしてるよ」と 伝えたのですが Hさん家は 居ても立っても居られなくて行動したようです。
お陰で 里帰りした「鹿折唐桑駅の看板」が ”祈りの場”になってくれました。
2021年3月11日の鹿折唐桑駅 画像提供 Hさん