東日本大震災から3年。 午後2時46分 亡くなった方々を想って祈りました。
昨日テレビで 震災当日の気仙沼・実家が映った 航空写真を初めて見ました。
市内の定点カメラの撮影箇所からも外れていて 被災地の状況を一番最後に知ることなったのが 私の生まれ故郷・気仙沼・鹿折地区。
地震後の津波で気仙沼内湾が延焼し 消防車も立ち往生して三日三晩燃え続けた地区に 報道の車が入れるはずがないのに そのことすら気づきませんでした。
独居の父親の生存確認ができたのは 震災から4日目の15日朝でした。
復興の道のりも遅々として進まず 今まで感じなかった疲労がますます濃くなり 被災した友人達はひっそりと 今日を終えています。
※ 2011・6 鹿折地区