虹の旅人

2011年3月11日 故郷が壊滅。 人生はNext Stageへ

侍ソウル 岩出山伊達藩家老 吾妻謙

人生ここに来て、自分のルーツを辿る旅や出逢いが、多くなっているのはなんなのでしょう。

 

近所の図書館に行ったら目の前の本棚に、当別出身の本庄陸男著「石狩川」があり、手にしたらやはり岩出山藩士の開拓歴史を書いた上下巻の小説でした。 

 

維新で幕府側についた伊達藩は禄を減らされ 支藩岩出山伊達藩は藩民180名を 北海道の未開の原野を切り開く開拓民として送り出しました。

 

最初にあてがわれた開拓地・厚田から当別町まで移動した距離は 道なき道の5里7町(約20キロ)。
移住先に集まる場所の目印にしたと言われるのが 現存しているオンコ(イチイ)の大木。

 

岩出山藩10代当主伊達邦直公は名君と言われてますが、禄高を減らされた伊達支藩岩出山藩を、北海道移住開拓吏にした実質的な功労実行者は、家老職であった「吾妻謙」。

 

殿の邦直公の胸中を察して、吾妻は岩出山伊達藩のために誇り高く働きます。
家老職吾妻は、あてがわれた土地が荒地過ぎて耕せなく 新たな開拓地申請に行き 開拓役人から屈辱的な沙汰を受理してくるのですが 若き殿様である邦直公は、全てそれは吾妻に一任した我が身の責任である「語るでない・・・」と一言発するのみでした。

 

秘めたる想いを言葉にせぬとも分かち合う 主従の関係が全編を貫きました。
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先日私は 隣町にあるその当別町に行ってきました。
邦直公を祀る当別神社境内に家老・吾妻謙の記念碑を見つけましたが、目印のオンコの大木は探せません。

 

思いを残して当別駅前の姉妹都市岩出山宇和島の名産を扱う赤レンガ倉庫に行き、大好物の岩出山名物「シソ巻き」のことを尋ねると、居合わせた当別歴史講座の会長さんが、シソ巻きのことや有備館のことを教えて下さいました。



この展開に驚きながらお互いに情報交換をしているうちに、邦直公と第一陣の開拓者達が露営した、目印となったオンコの大木を案内して下さいました。

 

この偶然に感謝いたします。



~~この地の開拓をした岩出山藩の苦労と遺産を後生に伝える講座開講開始が始まります~~~

 

第1回 8月29日(土)13:30~15:30  商工会議所2F

 

合田 一道氏のよる記念講演 「戊辰戦争と伊達岩出山領(支藩当別への移住」 があります。
第2回目以降の日程も決まっています。

 

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