虹の旅人

2011年3月11日 故郷が壊滅。 人生はNext Stageへ

気仙沼・鹿折地区~2013年10月末~

 昨日 気仙沼から札幌に戻る道すがら 私は 未曾有の東日本大震災の最大被災地・気仙沼・鹿折地区に生まれることを 自らが望んで生まれたのではないか。とツラツラと考えてました。
 
 
「鹿折地区」には 震災シンボルだった第18共徳丸が打ち上げられ その前を通らないと実家に帰えられない道筋や 被災の難を逃れた集落に家があり 町全体が見渡せる場所だったりと・・・etc
 
 
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どこよりも復旧が遅れて 誰も住む人が居なくなり 同じく被災した人達からも気の毒そうに「受難の地」と思われている「鹿折地区」に 好奇心旺盛で 撮影好きの私が生まれて育った。 そして札幌に嫁いだ。
 
 
結婚してからも 年数回は実家の両親の元に里帰りしていて 気仙沼との関わりが途切れていなくて、震災時に遠くに住んでいたからこそ余力が残っていた。
こうして帰省したときに 実家で寝起きしてj自分の足で歩いて写真を撮って ブログにUPすることができる。
 
あれやこれや考えてみれば私の生い立ちには不思議なくらい 震災を風化させないための 家系が霊能一族だったり 祖母が三陸チリ津波を予知していて そのとき私は祖母に背負われて 共徳丸の下の所で生き残った。。。

様々な条件が揃いすぎてる感じがするのです
 
 
 
 
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