「鹿折地区」には 震災シンボルだった第18共徳丸が打ち上げられ その前を通らないと実家に帰えられない道筋や 被災の難を逃れた集落に家があり 町全体が見渡せる場所だったりと・・・etc
どこよりも復旧が遅れて 誰も住む人が居なくなり 同じく被災した人達からも気の毒そうに「受難の地」と思われている「鹿折地区」に 好奇心旺盛で 撮影好きの私が生まれて育った。
そして札幌に嫁いだ。
結婚してからも 年数回は実家の両親の元に里帰りしていて 気仙沼との関わりが途切れていなくて、震災時に遠くに住んでいたからこそ余力が残っていた。
こうして帰省したときに 実家で寝起きしてj自分の足で歩いて写真を撮って ブログにUPすることができる。
あれやこれや考えてみれば私の生い立ちには不思議なくらい 震災を風化させないための 家系が霊能一族だったり 祖母が三陸チリ津波を予知していて そのとき私は祖母に背負われて 共徳丸の下の所で生き残った。。。
様々な条件が揃いすぎてる感じがするのです。