虹の旅人

2011年3月11日 故郷が壊滅。 人生はNext Stageへ

龍神社 ~美幌神社~

  本日の朝刊の掲載された ”美幌”のピンポイント記事にビックリ!! 
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                                                                        ~2014・10・27  読売新聞 朝刊より~
 

25・26日の週末は 北見方面で3つのお役目して来ました。

    ①北見で2回目「虹りんごのお茶会」

    ②26日 8月のお礼で神威ワッカからギフト
 (朝一で受け取り済
)

    ③〃   美幌市内の美幌神社にてご参拝。
 
お昼頃美幌峠を越えたときに 太陽が眩しくてとても暑かったのですが まさか夏日とは知らず 網走24.1°・北見23.5°の熱いフェーン現象を背負って 私達は
移動をしていたようです。
 
美幌市内にある美幌神社との縁は 前回私達2人が旅した北見基点の旅の軌跡が発端です。

理系女子で地図と定規を片手に測量好きのHさんは 私が札幌に戻った後 辿った道のりの中心地から龍神社を割り出しました。
 
「何故にそんなことを・・・!?」と私は思ったのですが Hさんは車が出発する度に 行先をナビ登録して記録してました。
面白いことに Hさんのお父さんが測量士であるDNA要素も含めて 本人的には無意識の感覚だったようです
後々 私の守護神から 私とHさんのずーと遠い過去に 砂嵐が吹く道のりを 星の位置から方角を割り出して旅 を続けた仲と教えられました。
 

そんな過去の記憶からか 神社境内に朽ちた”龍神社”を発見して 願っていた最初の”神様お役目”課題を 自分で選んできました。
 
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              ※ 8月から約3か月間で何故か?修繕され ペンキも綺麗に塗られた龍神
 
昭和15年~20年の5年間 網走郡美幌町に海軍所属の航空隊があり 昭和17年龍神社が庁舎前に建立。
終戦の10月 今の美幌神社に遷され 風雪に40年耐えて昭和58年に崇敬者の浄財で造営された。と由来の石碑に刻まれていました。 
日の目を見ずに報われない年月が長かったと察します。
 

Hさんは龍神社に出会い「大変だ~」と慌てて連絡を寄こしました。
祭神は海神(わだつみ)ではなく 上津和田都美神 中津和田都美神 底津和田都美神なので 海面・海中・海底にいる「童の龍」。そこに大きな意味があると思いました。
 
北見からHさんが 6月の小樽お茶会に参加したときも 「若い龍」がキーワードでしたが 小樽にも同じ和田都美三神を祀る榎本武揚公建立の「竜宮神社」があります。

第二次大戦中の軍港小樽や網走を拠点とした 海軍所属母船から飛び立った零戦航空隊員を守護していたのは若い龍神であり その守護龍に若人の命を託したのかもしれません。

 
美幌から飛んだ零戦と呼ばれた終戦間近の飛行機には 鉄の資材不足で地場産業の「木材で作られたプロペラ」が使われていた。とも聞いています。
 
美幌出身のHさんの実家は神社近くにあり お母様にご協力を頂いて 白米のおにぎりを「腹いっぱい食べたい!!」という私が降ろしたメッセージに応えて お供えさせて頂きました。
 
その間 その日2羽目のメッセンジャーバードの鷹が一羽。
私達の慰霊の祈りを頭上から見守るように 大きく羽を広げて いつまでも悠々と青空を旋回してました。
 
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先人の働きがあって 今の私達は平和な日本でに生きている。と改めて思います。 
 
晩秋の季節外れの異常に高い気温は Hさんを龍神社に呼んで私へ繋げた 心ある町内世話役だった祖父ちゃん・お父さん 地元の男達の熱い想いが 信じられない自然現象を起こしたのかもしれません。
本日27日の北見地方は 昨日とうって変り 雪が降り出しそうな曇天だそうです。

念願の白米握り飯を食べた元気な多くの御霊達から 故郷を遠く離れた北の地で祀られるより 「鷹のような大きな翼があったなら 直ぐにでも父母が入る墓に帰れるものを・・・」の想いが伝わります。

奇しくも大日本帝国海軍航空母艦の名前は 鷹の名前がつけられたとのことです。 

この話に繋がる番外編は また・・・