マスコミがこのニュースを報じていないのに 数日前 当時海軍航空艦隊の零戦操縦士だった方が語った新聞の記事が 何故か目に入りました。
その記事には 10月末に北見の友人Hさんの案内で 地元美幌神社境内にある龍神社にご参拝したときに 私が抱いた疑問への答えがそのまま載っていました。
昭和17年に航空隊員の慰霊の龍神社は庁舎前に建立され 終戦の10月今の美幌神社に遷され 昭和58年に崇敬者の浄財で美幌神社境内に造営された~~~ということですが「 龍神社」の存在は地元の方々にも知られず ひっそりと祀られていました。
美幌神社内 龍神社・10月27日→http://blogs.yahoo.co.jp/applejikan/26650068.html
①の疑問
龍神社の祭神は上津和田都美神 中津和田都美神 底津和田都美神で 海面・海中・海底にいる「童の龍」。
6月の小樽お茶会に北見へ続くキーワードは「若い龍」。
龍の名前の海軍所属母船から飛んだ零戦航空隊員の慰霊を 若い龍に因んで託したのかもです。
美幌の航空隊は 北方に向けての基地だと思ってたけど その操縦士たちは北海道択捉島から空域警護のために飛行し 母船の名前は「蒼龍」。
やはり龍の名前がついていました・・・。
②の疑問
日本軍は最初の勝利におごり 零戦の戦闘力を課題に評価しすぎて開発が遅れたと書いてありました。もしかしたら機体の一部が 木材で作られた戦闘機もあったのかもしれません。
③の疑問
その間 その日2羽目のメッセンジャーバードの鷹が一羽。
私達の頭上を”何か”を見守るように 青空を大きく羽を広げて悠々と旋回してました。
あの日何故ここに鷹が飛んで来た?と思ったのですが 6つの母船が次々とが撃没して 後から参戦したのが 商船改造船の「飛鷹」という名の母船。
以上の記事は 「日本はまた 戦争を起こすのではないかと不安になった」元海軍中尉(98)の方が 自分の償いの気持ちで語った記事を参考にさせて頂きました。
(読売新聞12月5日付)
キーホルダーには赤いリボン状の紐が付いていて 「ご使用の際は この安全弁を引き抜いて下さい」と英語で書いてあったのです。
何故 零戦の銃撃弾用の安全弁に 龍が描いてあるのだろう。
何か関係があるのかな!?と気になっていたのです。。。
今年の夏 私とHさんは見えない糸で紡がれて 35年近く閉ざされてた海軍航空隊の”歴史の扉”を少しこじ開けました。
更に1か月半で大きく開かせました。 そして今回は龍との航空隊と龍の名の関わりを解きました。。。