虹の旅人

2011年3月11日 故郷が壊滅。 人生はNext Stageへ

4年前の3月11日 ③

~前回の続き~
 
 地震津波が発生した夕方 海が燃えて雪も降りだし 気仙沼湾の風下にある私の生まれ故郷の鹿折地区は 海からの延焼で火災が発生し 家庭用プロパンガスがポンポン音をたてて爆発し 三日三晩燃え続けました。
 
私の父親の生存を確認できたのは 4日後の15日朝であり 家は半壊。
 
震災発生から知人達をPCで検索しているうちに見つけた 親戚の幼馴染みのY子ちゃんの娘の名前。 突然すがる思いで連絡を入れて 私の家の番号を伝えてました。
 
流れ着いた第18共徳丸から50m離れた家に住んでいたY子ちゃんが 「娘から伝言を聞いた」と 気仙沼を無事脱出した一ノ関バッテリーの残量少ない携帯電話から携帯を持っていない父の無事を知らせてくれました。 感謝です。  
 
その後妹に連絡をして独居の父を救出して一安心。
自分ができることとして親戚や避難所に支援物資を 無我夢中で送り続けました。
 
被災しておういない心苦しさもあったし もし津波が起きた場合には 事前に妹とは互いの役割を打合せもしてましたが その妹がパニック状態となり 「こんな悲惨な事態に神様!!神様って何言ってるの!!」と叱られたりと 浮世の事情の心根が透けて見える色々がありました。
 
それでも私の頭の中は 「何故私はあの土地に生まれた。 それなのに何故今は 北海道にいるんだ。」 の”何故 何故”が常に渦巻いてました。
 
父の安否確認ができない中 見えない存在から私に降ろされたメッセージは 土地や日本・地球全体の壮大な神々の想いであり  私の身近な被災された人達に向けらたものではありません。
 
大切な人達の人生が一転したのに 神様のメッセージは百年二百年かけて国を造る人間に向けての話であり 目の前で生活が困窮している人たちへの具体的なアドバイスではありませんでした。
 
ここでも神様と人間の考えの”大きな隔たり”に戸惑い メッセージのことを他に話すことすらできませんでした。
 
 
自分の霊能力を懐疑的に思っていた私が 10年も前から確信の無い震災情報を受け取っていた。 しかし今となれば 私が受け取っていた通りの震災情報が 故郷気仙沼に現実に起きてしまった。
 
私の能力を知る知人が 札幌で開催される信頼できる霊能シャーマンの講演があると教えてくれたので行ってみたけど 何年もかけて地震回避の祈りで全国を巡っていたその人は 3月11日の肝心な三陸沖の激震と巨大津波のときには 別な場所で祈っていた。
 
自分は霊能力がある!!と言い切る人が 何故本当に大切なときにその場にいないのか?そんな疑問が残りました。
たぶん そのシャーマンには神様から正確な情報が届けられていなかったのではないかと思います。
                              ~つづく~  
 
                                                                                                                        鹿唐桑駅舎 2011.6