2002年の5月初めから 立て続けに津波や龍の夢を視せられて 内容に疑問を抱いて夢の中で問いかければ 答えを含んだ夢を早々に視せて教えてくれる。
謎解きゲームような夢のお告げの能力開発レッスンが 始まりました。
そんなことが繰り返されているうちに メッセージ性がある衝撃的な夢を視たのが2004年6月中旬。
それは 海に浮かぶ二畳くらいの岩場で行われるご神事を 私一人が真正面から見ているものでした。
それは 海に浮かぶ二畳くらいの岩場で行われるご神事を 私一人が真正面から見ているものでした。
「これってご神事!!この場所には 唯一私だけしかいないけど 私がこの場所に居て良いの?」と 戸惑いつつ 夢の映像に寝ているはずの私が問ってました。。
母の一周忌が済んだ2005年に 三陸で龍を祀る神社と言えば金華山かもと 思うようになり 三陸沖に浮かぶ金華山では 龍神祭りが初巳大祭と龍神祭りが年2回執り行われるけれど 龍が生まれるご神事は ”初巳大祭”と目星をつけて島渡り。
その日大勢の観衆の中で 「夢のお告げのこと。ご神事のことを問うてみよ!!」と 神様から示唆されて声をかけたのが 今でもお付き合いがあるご神縁で結ばれたMさん。
あれから13年を経て 私は新たな想いを抱いて 今年の”初巳大祭”に向かいました。
あれから13年を経て 私は新たな想いを抱いて 今年の”初巳大祭”に向かいました。
本来は夫婦で参列する予定が 飛行機の予約時に何故か夫がアレコレ言い出したので面倒になり 「私一人でも行く」と覚悟を決めて 列車とバスと船を乗り継いで島に渡りました。
大型連休の終盤 千歳空港は混雑していて30分遅れで飛行機が離陸。
案じていた最後の難関が抜けられません。
目の前の鮎川港は 東日本大震災で甚大な被害を受けて復興したばかり。
ここまでは辿り着きたけれども 海に囲まれた島に行きたくても「波が高くて船が欠航した。」ただそれだけのことで 海に対して文句も何も言えません。
ボランティアで常宿しているMさんと 夕食後にゆっくり歓談して 7年前の”金華山の神様ミッションのその後”を確認したかった。の想いが募ります。
霧に包まれた海を泳いで渡ることもできず 一人ポツンと荒海を眺めて 時間をつぶすしかありません。。
1時間くらい黄昏ていると 白い着物に紫色の袴衣装の神社の方と背広の男性二人が 海上タクシーのオーナーと 話をしているのが目に入りました。
更に30分が経過して波が低くなったときに 「船が出航する!!」と言って 神社関係者2名の方が 私の脇を通り過ぎようとしました。
思わず私は「参籠に 宿泊予定の札幌の者です!!」と声をかけました。
私が参籠宿泊者であることを把握していた様子の神社関係者の方に 「泊って早朝の一番祈祷をお受けしたい旨と 欠航により仕方無く民宿に予約入れたこと」もお伝えしました。
図々しさに呆れたと思いますが 黄金山神社の初巳大祭に 必死で遠方から辿り着いた私の気持ちを察して下さって 一言。
「民宿をキャンセル出来たら 急いで乗って下さい」と言って頂きました。
やはり外海は波が高かったのですが 諦めていた金華山に奇跡が起きて渡ることになった私には 大きく揺れる波も 激しく上下にする船も気にならず船酔いもしませんでした。
私にはその方が 黄金山神社の神様が遣わした”お使い人”にしか見えませんでしたが 翌朝5時半の祈祷時にその方が進行役だったので ”あの船がもしが出航しなかったら・・・”と思うと ヒヤリとするものがありました。
2時半に島に到着すると境内の人達全員が 「奇跡的に船がでて良かった!!」と喜んでくれました。
「今日は 島に渡れないです!!」と連絡をしていたMさんも その日現れた私に 「さすが!! 神様のご加護があって良かった!!」と驚いてました。
直後に日没と雨を気にして私は 7年年前に訪れた聖地の震災後の形跡を確認するため 山頂まで445M+αMの場所を修験者のようにめざし 往復2時間半の強行軍で駆け抜けてきました。
不思議なことに私はどこの聖地に行っても 辿って行く道筋が良く見えて とても健脚になります。
余談ですが 金華山に渡る船は 事前に「往復の船切符を購入」するのが原則らしく 切符が無くて島入りした私は 帰りに定期船に乗るとき「切符を持たずに どうやって島に渡ったのですか?」と尋ねられ 「神様と神社さんと 神様たちのご厚意で渡りました」と 言葉少なく答えてました。
夢か現か 金華山滞在中 私は 不思議空間に迷い込んだ存在しない人間になっていた様です。