こんなに綺麗で、「平和な街に住んでいるんだもの、仕方ないか~。」と思うような青空です。
震災から2カ月間、善意と称する方々の想いに、振り回されました。
実家の父を無事救出とか、家が半壊とかを声高に言う気も無く、できれば生まれ育った町と海が炎に燃えて 瓦礫化したやり切れなさを胸に秘めて、毎日を静かにやり過ごしたい。
しかし、札幌に住む知人達は、自分の善意の「形」を、矢継ぎ早に打診してきました。
震災以来気仙沼に被災見舞いに行っていない私が、あやふやな返事をすると「今、電話をして聞いてみて」と、言います。
日本語で支援物資の内容を依頼したはずなのに、話が半分も伝わらず、別な形の善意がゴロンと現れます。
想像するのが仕事の方々ですらそうなのですから、被災地の現状が伝わらないのはおして知るべし。
「連絡が来るまで待とう!!」と、信じてました。
今彼女は、遅々として進まぬ市役所に被災証明等を貰いに通っています。
その為に携帯電話が必需品なのです。
この先の私の人生を2011・3.11を境に、人を見る目が変わりました・・・。