虹の旅人

2011年3月11日 故郷が壊滅。 人生はNext Stageへ

小樽墓参りで出あった 気仙沼ソウルフード「いか塩辛」

     

 この春のお彼岸は 日程が合った長男家族と 小樽にある夫側の菩提寺にお墓参りに行ってきました。

元々我が家の墓参りは 春・夏彼岸は時間がある私たち夫婦だけが行き お盆墓参りは皆で行く。という感じです。

菩提寺がある坂の下には 夫の知人が昔から営む八百屋さんがあり 仏花や供物を調達してから お寺参りするのがいつもです。

 

その日八百屋さんのレジ近くに置かれていたのが 小さな段ボール箱に入った気仙沼産・ハチヨウの「いか塩辛」。

震災前 気仙沼は塩辛生産が日本一でしたが 東日本大地震時に 多くの工場と同じく「八葉水産」も被災して 甚大な被害を受けて生産が止まっていた。と聞いてました。

 

私が気仙沼出身とは知らずに 美味しくて食べやすいパックの説明をしてくれたのですが「私のソウルフードです」と伝えて 塩辛談義に。

実家の朝夕の食卓には塩辛があり 子連れ帰省で味を覚えた子どもたちも”塩辛好き”となり 以来実家の祖父母たちが送ってくる荷物の片隅には 「ハチヨウ」か「小野万」の塩辛が必ず入ってました。

 

それなのに 菩提寺下の八百屋さんのオーナーおかみが 味に惚れて仕入れたのが

震災から復活した気仙沼ハチヨウの塩辛とは・・・驚きました。

手軽に 小出しに食べられるチューブタイプになって新パッケージでの登場です。

 

売っていた塩辛パックを 嬉しくておすそ分け用にまとめ買いしました。

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雪が解け レンガの小道が覗いてワクワク!!

     

  今週は長女家の孫・雪ちゃん(3歳)が 風邪でずっと保育園を休んだため 在宅勤務の長女の仕事に支障をきたし 結局私が雪ちゃん預かりをすることに。

 

孫本人は鼻水と咳が出てるだけで いたって元気ですが WBC期間中でもあり 日ハム時代から応援していた大谷選手とダルビシュ選手や 気仙沼の隣町・高田出身の佐々木朗希選手を応援したいので「早めに家に帰ってね」の 条件付きで引き受け。

孫預かりのあい間に 宿根草の芽吹きチェックで庭に残る雪をかき出して 私が敷いたレンガ小道を開通。

 

花を育てて愛でるのも楽しいけど レンガの敷かれた小道を眺めているだけで 私はワクワクと嬉しいです。

昔から仙台青葉城址後の石垣や 小樽の軟石の建物を写真に撮る程 "石積み"が好きだったのを思い出しました。

 

余談です。

三陸の町で霊能家系出身の祖母は 神様を降ろして人助けをしていたのですが その祖母に思春期の頃「あんたは神様拝みは 向いていない」と言われて 胡散臭いことをしなくても済むと安心していたら 20年くらい前の祖母が神様に呼ばれた同じ年頃に 夢の中に”龍”が頻繁に現れるようになりました。

 

夢で視ていた場面が 突然チャンネルが切り替わるように変わって 静かな海となり 海中から恐竜のような?! 龍のような生ものの?!が飛び出して 慌てて飛び起きたこともありました。

 

生家の環境や資質もあったと思いますが 自分なりに 夢の中で龍から告げられる言葉や映像を解釈して 翌日に疑問を抱いて就寝すると 龍が夢の中で疑問の答えやヒントを示してくれるように。

 

そんなことが2年以上続き おおよその事態が理解できた頃 果たして私が理解したことが正しいかどうかを判断するため 札幌在住のサイキックヒーラーのセッションを受けに行ったのです。

 

初めて訪れたスピ系場所の玄関先で躊躇していると 私が言葉を発する前にヒーラーさんが 「あなたの後ろに 龍が一緒に来ているけど・・・」と言ったので 驚きました。

そのヒーラーさんが 私の過去生を「エジプトのピラミットを作る作業場で 図面を片手に現場監督をしている人」と言ったのです。

 

5年前に 400個のレンガを庭に一人で敷いた体験が楽しくて 機会があればまたレンガ敷きをしたいと願っています。

今は亡くなってしまったヒーラーさんが あのとき視たピラミットの現場監督だった私の過去生は ”本当だった”と 毎日レンガの小道を眺めながら思っているのです。

 

※    宜しかったら他の黄金龍神話も 下記からご覧になって下さい

黄金龍神 カテゴリーの記事一覧 - 虹の旅人 (hatenablog.com)

 

nijinoringo.hatenablog.com

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3月11日 12年目の祈り

  東日本大地震が起きてから 気仙沼市・鹿折地区に生まれた自分に「3月11日 午後2時46分」には 三陸から遠い札幌で  "祈る"ことを課してます。

本日は 震災から12年目にして仕事となり 社員食堂の映りの悪いテレビで 「2時46分」に鎮魂の祈りを一人で捧げました。

 

去り際 食堂に入ってきた年配男性に「気仙沼出身なので ・・・」と言うと その男性が 「自分も単身赴任中に仙台で被災して カーラジオでしか情報収集ができず 2週間後に津波の全容を知り 3週間後に山形経由で北海道に帰省した」と話してくれました。

震災が発生して5日目に 従妹の機転でようやく独居の実父(当時83歳)の生存確認ができ その翌日 仙台の妹夫婦が不足していたガソリンを調達して 通行止め検問を振り切って 鹿折の生家で孤独に耐えていた実父を無事救出。

実父が避難したあとの気仙沼に 私が帰省したのは 東京本社で会議があった6月中旬。

 

羽田へ向かう飛行機上空から見た ギザギザ状のリアス式沿岸の町並みは レタスの葉の端が変色したように朽ちてました。

会議の後に流れた ネオン輝く新宿でのカラオケ宴に深夜まで同席し 早朝の新幹線で仙台に向かい 避難した実父と合流。

仙台から2人で高速バスに乗り 被害の少ない内陸部を通って気仙沼駅に到着して タクシーで遠回りして気仙沼内湾を巡り 実家がある鹿折地区へ。

 

実家のある一帯だけが新緑に囲まれいて その場所以外は見渡す限りの廃墟が広がり 地球が破壊したような異次元の世界でした。

津波重油が流れ海が延焼し 風下にある鹿折地区は3日3晩燃えて 全ての色味が失われ 半日前に滞在した喧噪の新宿の街とのギャッが大きく とんでもないことが故郷に起きたことを実感するのみ。

 

人の姿が消えた荒涼とした町には 日が暮れても明かりが灯ることも無く 私は暗闇の中 祈りを込めてただ彷徨い歩きました。

 

区画整理をして地盤を上げた10年後に 家を建てられるようになった町が この先どのように変わるのかが分りませんが いつかは訪れたい町となりました。

 

                   

                                                                                              2011.6

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まさかのスッピンで 高級マンション内覧見学

その日はほぼ冬眠中の私が 夏場の庭作業でできた日焼け・シミ抜きエステの日。

終れば直ぐ帰るつもりの会計時 電話が鳴って出れば 知人・Sさんが「約束の時間から30分も待っているけど 今どこにいるの?」と慌ててました。

「えっ?!」です。

 

Sさんとの共通知人・Yさんが内装を手掛けた高級マンションの内覧後 十数年ぶりに3人揃って「ランチ会」をするのは「来月のはず・・・」と思いながら 先日スケジュール間違いをした私は弱気で 勘違いしているのはこちら側という風向きに。

 

念のためにと Yさんから届いた「内覧のお誘いメール」を確認すれば 1か月後の同じ日でした。

折り返しの電話で「だとしても馴染みのエステでのシミ抜き後で 化粧もせずオバサン服にスノーブーツ履きでは 中心部にある高級マンションの内覧には行けません」とお断りをすると 来月は無い”今回特別の内覧”だからと押されました。

 

インテリア好きとしては 一度見たかった「高級マンションの内部見学」の言葉に グラリと好奇心を揺さぶられ マスクもしているし 化粧をした所で変わり映えの無い顔だしと言い聞かせ 俯き加減に地下鉄に乗り 遅れること50分後に合流。

申し訳ないけど久ぶりに再会した二人の知人には 約束の日付が来月であることを示して 確認してもらいました。

 

30年近く前 インテリアの資格取得する前に通った 懐かしの「パース講座」で出会ったのがYさんで 今ではリフォーム会社の女性社長。

電話を寄こしたSさんは20年以上前 住環境資格セミナー会場で知り合い 当時から建築事務所の役職夫人。

素材メーカーに勤務する未だに一介のコーディネーターの私が 途中YさんとSさんのインテリアの好みが似ているからと引き合わせると 二人は意気投合して親しくしてました。

 

70・66・56歳の「インテリア好き3人」の 切れそうで切れなかった”縁の再会”を 私は本当は楽しみにしていたけれど スッピンと言うこともあり業者口から入ってひっそり見学。

高額な住居費で住むのなら別な住空間が好みですが 高級マンション見学は目の保養ということで良い経験になりました。

せめて眉毛だけは描くつもりでいたら 眉墨がポッキリ折れて 次は折れないタイプを買おうと思いました。

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ばぁばの「ひな祭り散らし寿司」は テイクアウト専用

         

 今年も ”虹りんごキッチン”恒例の ひな祭りちらし寿司・テイクアウト用を作りました。

事前に「ひな祭りちらし・テイクアウト用」注文メールを送信して お皿も持参するよう言います。

 

長男家に結婚6年目にして 花ちゃんが生まれた初節句のとき 生後10か月の花ちゃんのために 仕事で遅くなったお嫁さんが スーパーのちらし寿司を買って 祝ってあげていたのです。

そのうちに長女家にも雪ちゃんという女の子が生まれて 働くママたちを応援するつもりで 私が”ひな祭りちらし”を作ることに。

と言っても じゅうぶん美味しい”五目寿司の素”を使った手抜きちらしで 私の負担を軽くしています。

                

どちらも共稼ぎ世帯なので「ちらし寿司」を持ち帰れば 自分たちの都合で家族イベントを楽しめるでしょうし 渡してしまえば 私もゆっくり”ちらし寿司”を食べられるので気楽に作ってます。

毎年花ちゃんからは れんこん・とびっこ・いくらが好きとリクエストが入り 遅い秋に 皮が厚くなった生いくらで醤油漬けを仕込んで冷凍し この日に備えます。

今年は雪ちゃんも3歳になり マグロ・サーモン・ホタテなら食べられると言われ 価格が安いときに買って冷凍保存。

 

車で15分の距離とはいえ札幌のこの時期 雪解けと気温低下が交互しに来た後の道はガタガタ路面なので "ちらし寿司"の盛り付けが崩れないように各々重箱を持参。

5歳と3歳の孫たちの”ひな祭りちらし”は 重箱詰めとなりました。

         

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我が家の水難トラブルはまだあった ~アスファルト陥没~2

 ~~前回記事の続きです~~

 次々起きるトラブル対処に追われるお盆過ぎ 車庫前敷地に5㎝程の穴を見つけたけれど 丸い鉄板を被せて後回しにしてました。

ひと段落した10月に 修繕見積もりを数社に依頼すれば 原因は不明で予想以上の見積もり額に 私たち夫婦は途方にくれました。。。。

 

しかし 雪ちゃんの七五三詣りに北海道神宮の後 相馬神社に詣でた2日後に 事態は好転したのです。

         

バイトにでかける夫を見送った後 私の目の端に札幌水道局の車が横切り 水色の車は隣家の玄関前に止まりました。

これは”何かのお導き”かも・・・と閃いて 車から出て来た方に事情をお話して「似たような事例が無いか」を尋ねました。

「自分たちは 水道の関係者だから」と言いながらも 足を運んで穴を見てくれた方が「管轄の下水管支部に連絡してみたら」と教えてくれました。

アスファルトに空いた穴が 下水管と関係あるとも思えず渋る私に 「まずは連絡を・・・」と 背中を押してくれたのです。

 

言われた通りに連絡を入れて 同じく事情を話すと 若い担当者が”地域の下水管を網羅しているだろう地図”で 下水管が市のものか個人宅のものかを照合し

「下水管は敷地内にあるので 修繕負担は持つことになります」と残念な結果を伝えてくれました。

「原因が不明で空いた穴の修繕に 高額な費用は出せない」と沈む私に その担当者が

「札幌配管協会に加入している業者さんなら きちんと見積もりして対応してくれるはず」と 是非連絡するように勧めてくれたのです。

 

3度目の頼みの綱を辿って 札配管協会で繰り返し事情をお話ししました。

すると我が家に近い会社を紹介してくれて その会社から10分後には電話が入り 20分後には現場を見に来てくれました。

 

朝に水色の車を見てから 所要時間1時間半ほど。

信頼できる業者として紹介された会社の幹部の方が 穴を覗いて

「下水管桝が破損して 壊れた場所から土や砂利が流れ出て そのためアスファルトに負荷がかかって薄くなり 穴が空いた」と説明してくました。

「原因が不明なまま工事をする会社に 依頼してはダメです」とも言われて 他より業者より10万安い見積もり額を提示しました。

 

翌日には 夫と二人で穴に砂利を投入して埋め その上から簡易アスファルト敷いて この冬を乗り切ろうと ”とーちゃんかーちゃん工事部”を開設するつもりだったので その方が”神様のお使い”に見えました。

やはり懸念されていたのが 現場が立て込む降雪前の残された期間に 我が家の小工事を組み込む日程でした。

 

工事を依頼して待つこと1か月。   

   

初雪が降りそうな日の昼過ぎ 突然玄関前に作業車が止まり 数人の作業員が降りて来て アッという間に”下水管桝”を交換してアスファルトを敷き 2時間くらいで帰って行きました。

他の現場と現場の間に都合をつけて 我が家の工事をしてくれたのだと思います。

感謝です。

 

この件を損害保険会社に申請した所 「アスファルトの陥没は 下水管桝の経年劣化破損によるもの」と判定されて保険対象外となりました。

”強いて経年劣化”と保険会社側が判断したようです。

 

集合宅地として造成された土地で 一番遅く建てた我が家の下水管桝だけが どうして経年劣化で破損したのかは 未だ解せない謎となってます。

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我が家の水難トラブルはまだあった ~アスファルト陥没~Ⅰ

 昨年8月には 3歳の孫・雪ちゃんの不明熱が発端で1か月間入院し その間に遠方施設に入所する93歳実父がコロナに感染。

身を削る思いで1か月を過ごし 9月初めに孫も実父もどうにか無事退院。

 

コロナ禍やウクライナ侵略で 木材や部材が入手困難となり価格も高騰する前にと 築35年の我が家の予定期間20日間の水回りリフォーム工事は慌ただしく突入。

それなの最終日のトイレリフォーム工事が 業者側の設計と下水管の接続ミスで1週間後に再工事になり こんどこそはの再工事日に発覚したのが 部材の発注ミスで さらに1週間伸びました。

これだけでもトラブル満載なのに 実は我が家にはもう一つのトラブルが起きてました。

 

そのトラブルの判定が この度出たので備忘録として記します。

車庫前の敷地に5㎝程の穴を見つけたのは8月お盆過ぎで 孫も実父も入院中の朝。

    

空いた穴を覗けば砂利も土も無く 空洞。

穴周りのアスファルトも薄く 表面を覆っているだけで 重い車が駐車すれば車ごと落ちてしまいそうな様子に驚き 丸い鉄板を被せて仮保護してました。

         

その頃は リフォーム会社の社長が打ち合わせのため来宅していたので 穴の場所を見せて作業車を止めないようにお願いすると 知り合いのアスファルト会社を紹介して貰うことになりました。

その時点で 次々目の前におこるトラブル対処に追われている私たち夫婦は 原因不明の車庫前の穴のことは後回しにしました。

 

10月に入り リフォーム会社のミスによる工事期日が14日間も伸びても 誠意の無い対応と請求額に呆れ 同時に渡された紹介先のアスファルト会社の見積もり額26万にもびっくり!!。

リフォーム工事は計画的な出費ですが アスファルト工事の出費は想定外のことです。

困って大型DIY店工事部にも見積もり依頼をすると やはり敷地に穴が空いた原因の解明はできず 見積もり額はほぼ同額。

 

その上「冬前のアスファルト会社は何処も忙しく 雪が降る迄の約50日の間に工事ができる枠は限られている。 その枠に入らなければ 工事は来春になる。

原因がわからない以上 工事後にまた陥没しても責任は負わない」とも言われました。

 

昨年のように札幌市内の降雪量が多ければ 雪の重みで空いた穴周りのアスファルトが沈むか拡大してしまう。 

穴が大きくなれば 我が家の車の車庫出し入れの際に支障をきたす。

考えれば考えるほど二進も三進も行かず 思考が停止して途方にくれました。。。。

 

しかし 北海道のひと月早い10月末 雪ちゃんの七五三詣りに北海道神宮の後 相馬神社に詣でた2日後に 事態は突然動きました。

                        つづく

 

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