~前回のつづき~
2015年の年末に 私は神様達に重ね重ねの失礼をしてしまいました。
三陸の人達が 見えない存在と言われる神々への想いや 自然に対する畏敬の念を忘れたとき
美しいリアス海岸に縄文時代より集っていた神々達は憂い 人間に失望しかけました。
しかし神々には ”一縷の望み”がありました。
一縷の望みの他に僅かな希望があるとしたら 己の命の尽きる最後まで 気仙沼の海の民が犯した過ちを 神々にお詫びして”浄めのご祈祷”を続けていた”神様ばあさん”の孫がいる。
その者が もしかして人として成長して霊的資質を持っていたのなら 「神の言葉を伝える役目」を果たせるかもしれない。。。と考えたようです。
あれから立派に成長した黄金龍神様は この度私の気づきの足りなさを諭してくれたのです。
祖母もある年齢になったとき 神様から呼ばれて修行を積み 霊能力を身につけて覚醒したのですが 祖母は霊能者というより 神様に仕えることを生きがいにしていたので 私の実家は何から何まで 全てが神仏を中心に廻ってました。
大人達が 神様や仏様の見えないものを信じる姿が嫌で 私の中にずっとトラウマとして残っていたようです。
「そのときの私の思いを 息子夫婦にはさせたくない。」と神仏に関わらせることに躊躇う親心が出てしまい 神様達への「日ごろの感謝」と 祖母と同じ志の沖縄の神様おばあとお会いして 決めたはずの「覚悟がまだ足りない。」と 言われてしまったのです。