「避難先の中学校の体育館で その日の夕方から持ち寄った僅かな食料で炊き出しを始め 水は井戸のある家から汲んで来て凌いだ」。と後々地元の同級生達が語ってくれました。
同郷の人脈を使い被災情報を収集中に 「鹿折の同級生の実家であるお寺が 子ども達の緊急二次避難先になった!!」と聞き 北海道から私は救援物資を送ってました。
震災発生から一週間後に 自衛隊の方々が物資を届けてくれた時点で 先方よりご辞退の申し出がありましたが 「本来の災害対策支援体制が整うまでの当面を 地元の人達と土地に縁ある人達がどう関わって支援するか。」 そこが”今後の震災時”の課題になるかと思います。
個人で動くことに色んな意見があるとは思いますが 東日本震災時に海に一番近い学校で 500名の児童と 近隣住民の食料や物資調達の陣頭指揮を執った人ですから 「何かのお役にたてるかもしれない!!」の一心で 邪魔にならない行動を心得て 居ても立ってもいられずに気仙沼を出発したようです。
「甚大な被害を受けた気仙沼の人間が あの日から5年を経て お世話になった方々に恩返しができる。そこまで回復した姿を見せてくれてありがとう。」のメールを K氏に送信しましたが・・・。
被災したばかりの方々は 今は先が見えなくて不安でしょうが 助かった命で この試練を乗り越えて欲しいです。