虹の旅人

2011年3月11日 故郷が消滅して 人生はNext Stageへ

熊本地方の方々へ ②

  震度7で被災した熊本地域には 地震から一週間が過ぎても物資や避難先の不足など 支援対策が遅れているようで心配ですが これまで大きな災害が無かった土地柄なのでしょうか。
 
私の生まれ育った故郷・三陸気仙沼は 何度も津波地震の被害を被っている土地です。
 
東日本大震災が発生した3月11日の夜 三陸地方には雪が降りました。
「避難先の中学校の体育館で その日の夕方から持ち寄った僅かな食料で炊き出しを始め 水は井戸のある家から汲んで来て凌いだ」。と後々地元の同級生達が語ってくれました。
 
同郷の人脈を使い被災情報を収集中に 「鹿折の同級生の実家であるお寺が 子ども達の緊急二次避難先になった!!」と聞き 北海道から私は救援物資を送ってました。
 
震災発生から一週間後に 自衛隊の方々が物資を届けてくれた時点で 先方よりご辞退の申し出がありましたが 「本来の災害対策支援体制が整うまでの当面を 地元の人達と土地に縁ある人達がどう関わって支援するか。」 そこが”今後の震災時”の課題になるかと思います。
 
 
「今回の地震では 被災物資と支援の人手が足りていない」と思ったのは 気仙沼・同級生のK氏も同じくで K氏は沢山の水と物資を積んだ車で 18日に熊本に行き 半日後には帰路に着いてました。
 
 
個人で動くことに色んな意見があるとは思いますが 東日本震災時に海に一番近い学校で 500名の児童と 近隣住民の食料や物資調達の陣頭指揮を執った人ですから  「何かのお役にたてるかもしれない!!」の一心で 邪魔にならない行動を心得て 居ても立ってもいられずに気仙沼を出発したようです。
 
「甚大な被害を受けた気仙沼の人間が あの日から5年を経て お世話になった方々に恩返しができる。そこまで回復した姿を見せてくれてありがとう。」のメールを K氏に送信しましたが・・・。
 
被災したばかりの方々は 今は先が見えなくて不安でしょうが 助かった命で この試練を乗り越えて欲しいです。
 
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