虹の旅人

2011年3月11日 故郷が壊滅。 人生はNext Stageへ

18年前 母の葬式後に見た夢

 先日長男が 母の日プレゼントの先渡しと言って 人気餅屋の”ちぎり餅と団子”を買ってくれました。

そう言えば5月3日は 餅好きだった私の母の18回目の命日だったと思い出し 「母の日」繋がりで仏壇に そのままお餅を供えました。

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 18年前の大型連休前日。

長患いで 入退院を繰り返していた母の容体が急変したの連絡を受け 私は札幌から気仙沼へ急遽帰省。

 

「今回 母は旅立つことになる!!」と予感していたのは私だけで 他の身内は「不死身の母は いつものように退院して言に帰って来る」と信じ 葬儀業者も決めていませんでした。

 

5月3日午後 田舎の大病院に赴任していた担当医はGW休暇で帰省中のため不在。

昏睡状態だった76歳の母は 担当医が不在でも指示通りに検査をこなそうとする レントゲン技師の画像撮影中に亡くなりました。

検査だからと言って家族は部屋から出され 「検査の時間が長すぎる!!」と思っていたら 「亡くなりました」と看護師さんに簡単に伝えられ 何が何だかバタバタしてました。

様々な想いは湧きましたが気持ちを抑えて どうにか葬儀会社を探して手配すれば 葬儀車に乗った母を見送ったのは 休日当番の若い医者と看護師のみ。

 

霊安室にも行かずに葬儀会場に直行したのは4時半頃で お腹を空かした父親(当時75歳)が近所のスーパーに 夕方食べ物を買いに行くと 連休中でもあり総菜の品数が少なかったとかで 売れ残りの”餅パック”を2.3個買ってきました。

私と妹は食欲も無く 父親だけが買ってきた餅パックを一人で 全部バクバク食べて平らげたのです。

 

翌々日 葬儀を終えて実家に戻った私が 病院からの看病疲れでぐっすり眠っている夜 

「母のお葬式は 既に終わっているからこれはきっと夢だ!?」と 夢を自覚する不思議な夢を立て続けに見たので 朝に妹に話をしました。

 

最初の夢は 母と私の2人が エレベーターに乗って上の階に昇ろうとするのですが 突然階の途中で止まり エレベーターが動かなくなってしまったのです。

母は私の手を振りほどこうとしながら「下の階に戻る!!」と騒ぐのですが 「戻らず このまま上に昇ろう」と 私が必死になだめていたのです。

 

場面が変って2つめの夢は 

母の遺影が飾られた葬儀会場で喪服姿の参列者全員が 臼(ウス)を囲んで餅つきをしていました。

各々が くるみ餅やあんこ餅が好きだとか言い出し 自分の味の好みを主張して譲らず 仲違いしながら 別々に餅を食べていた夢でした。

 

元々実家は霊能家系で 「神さま婆ちゃん」と呼ばれた祖母の孫の私たちは 夢や神仏の不思議な話は慣れていて 家族内で当たり前に話せたので 夢に現れた”母の言い分”を姉妹で検証しました。

 

● 母が乗ったエレベーターの上昇が 途中で停止したことには心当たりがありました。

母は亡くなる数日間 意識不明でも酸素マスクをつけることを嫌がり 自分で外してました。

病院側からは 「マスクを外さないように 手をベットに縛りましょう」と提案があったのですが 母の手をベットに括り付けるのが嫌で私が拒否したため 手を繋いでずっと看病していたのです。

妹には「こうして手を繋いで看病してる」と 画像で送信してました。

たぶん母の手を私が掴んだままだから母の魂が上へ昇れず この辺wp”彷徨っている”と判断して

画像を消去して線香を焚き「成仏するよう」と拝んだら 翌日からその夢は見なくなりました。

 

● 母の葬儀会場での”餅つき”は 亡くなったばかり母の枕元で 線香と花は供えても 「自分の大好きな餅を 誰も お供えしてくれなかった」と 食い意地の張った母が ”私たちの気の利かなさを恨んでいた”かもと その日のうちにお餅をお供えしました。

 

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これまで母の命日には お菓子はお供えしても ハレでもケでも餅が出て来る東北の風習にうんざりしていた私は 仏壇に餅をお供えすることありませんでした。

でも長男の家は餅好きで 美味しそうな餅屋さんを見つけると つい買ってしまうのだとか。

 

食いしん坊で餅好きな母が 初孫の長男に耳打ちして 餅を買わせたのかも・・・と思うような妖しい話でした。