住みなれた家や土地を離れたくない一心で、娘の電話には愚痴や泣き言を言わない父に、私は心のどこかで 「気仙沼に一人で住む父が 幸せなら・・・」と 老いた先を覚悟しながら どこかで甘く許していたような気がします。
そう思っていたのは 似た者親子同士だから 「自由気ままな血が、流れているから・・・。」と勝手に思ってました。
ここ数年、頻繁にかける父親への電話では 「争わない。怒らない。喧嘩しない」を戒めていました。
親孝行もできないけど、親不幸もしないがモットーの、お気軽な父と娘のつもりでした。
その父が、消息不明から無事が確認されて救出されるまでの間、偶然+偶然+必然の家族や兄弟でとった瞬時の判断や、とっさに行った動きは、同じ血が流れる者たちの”絆の連携プレー”だったと思います。
夫婦、親子、姉妹、兄弟全て、身近すぎて見えなかった繋りが、未曾有の場面で試されました。
2人の孫と車の中で亡くなった親族もおり、家族が欠けた悲しい試練も聞いています。
その上で、私達に何ができるかを考えています。
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