年明けの気仙沼の実家の片づけは 父の蓄えから「徐々に手作業で進めて行くとのことで そのことも仕方がないこと」と 私は黙って聞いてました。
夏に体調を崩して「今後一人暮らしは 無理」とお医者さんに診断された父が 妹宅近くの人気施設に入居できたことは 本当に有り難いことです。妹の尽力に感謝です。
母の十三回法要にも呼ばれることもなく 後日父に事の経過をたずねて 「家族皆で無事に執り行った」と聞かされた 遠くに嫁いだ長女の私は既に部外者でした・・・。
老いた父は自分の余生の都合で妹の顔色を伺い ”妹の内縁の夫と 裁判で得た親権を捨て父親の姓に戻った自分の長男夫婦”を この度「自分の家族」と認めました。
父娘の親子的な感情のやり切れさは残りましたが 気持ちの弱い父にとって”それも 今生で生きる術だろうし 私が黙って退くのも親孝行か”なと思い直しました。
しかし代々続いた霊能一家出身の祖母が 生家から勧請した駒形神社と神様と 神様に繋がる血脈の流れを 父の都合で変えることになるのです。
それは「過ちを繰り返すことであり 親と言えども馬鹿なことをしたもんだ。後々まで禍が残るだろうに・・ 」と思ってました。
普通なら”家じまいや墓じまい”で済むことが 神様を勧請した家のお役目はそれだけでは”終わらないのです。