虹の旅人

2011年3月11日 故郷が壊滅。 人生はNext Stageへ

山本 兼一著「命もいらず 名もいらず」上・下

 本好きの知人から勧 められて私が山本兼一さんの本を読み始めたのは 2014年に57歳で亡くなってからのこと。

以来 彼の作品は何冊読んでも面白く きっと資料を詳しく調べて史書を読み込み 物語の骨格を太くした後に 精密な肉付けしてから作品にして送り出した。と思わせるものでした。

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先日 図書館の寄贈本棚でみつけたのが 山本兼一著「命もいらず 名もいらず」上(幕末篇)・下(明治篇)の2冊。

この本の主人公は 飛騨高山の武士の家に生まれ 後に江戸に出て剣術の腕を磨き 江戸城無血開城の”真の功労者”と言われる山岡鉄舟です。

名前を聞いたことがあっても 認識不足で幕末から明治時代にかけて活躍した剣豪の武士だろうと思っていたのですが そこは山本兼一さんの時代小説の力量を信じて読むことにしました。

 

江戸幕府十五代将軍・徳川慶喜が 正式な江戸城開城前に尊王派の襲撃を避けて ひっそりと城を出たときや その後に隠居した菩提寺でも 慶喜公の御側近くで護衛していたのは 当時講武所にいて襲剣や座禅 書の道を極め 精神的にも肉体的にも優れた豪傑山岡鉄舟。

 

歴史的には 無血開城の取り決めは 江戸幕府勝海舟尊王攘夷派の西郷隆盛が結んだと言われていますが 江戸から各地の尊王派の陣を突破し 途中には清水の次郎長親分の手を借りて西郷隆盛に会いに行き 「江戸城無血開城草案」の訂正交渉をしたが鉄舟。

慶喜公は 諸外国から開国を求められているこの時期に 尊王派と幕府派が騒動を起こせば 民が混乱し江戸市中が焼土と化すことを憂い 尊王派に恭順するつもりでいたようで その意思を確認して 江戸幕府の終わりを認めない後の新撰組総長・近藤勇芹沢鴨やら 後に名前を残した武士たちを説得奔走したのも鉄舟。

多くの江戸幕府の残滓仕事に関わりなが 新体制の明治政府から21歳の天皇の御側に仕えることを命じられて 長い間宮内庁に勤めました。

日本国の体制が大きく変ろうとも 自分の本意は曲げず”国を守って忠義を尽くす男として あの激動の時代を生きた人物だと思います。

 

私としては 自国を治められる人が不在で 自分都合の大名や臣下に振り回される状況は 今の混沌としたの世情に重なり過ぎて 鉄舟のような人物がソロソロ登場してほしいです。

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孫の人形・ソランちゃんのソファを作りました!!

     

 

ソランちゃんとは 孫の花ちゃんの3歳の誕生日に お父さんとお母さんがプレゼントしてくれた抱き人形です。

ソランちゃんのべットはお母さんが作り 布団セットはお母さん側のおばあちゃんが作った。と聞いてました。

それならと インテリア業の私が思いついたのは  いつも立って飾られているソランちゃんのソファ。

 仕事先で集めた発泡スチロールとウレタンスポンジを 木工ボンドで接着して骨格作り。

30年前に作った娘の人形用ソファは 布地を型に合わせて手で縫ったけど 今回は布地を 木工ボンドでペタペタ張って仕上げました。

赤い小花柄の布地は ミニーちゃん服のソランちゃんに合わせたもので 花ちゃんのお父さんが学生時代に着ていたシャツの切れ端布。

  

 もう少し花ちゃんが大きくなったら ソファの布地をシックな柄に張り替えても良いかなと思っていたら 先日遊びに来た花ちゃんが抱いていたのは 口に竹筒を銜え ピンクの麻の葉柄の着物を着た”禰豆子ソランちゃん”。

 

 そうなれば次のソランちゃんのソファリノベーションは 大正ロマン漂う和柄布か 畳の縁台にしようかと思う私です・・・。

 

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17年後に届けた「もって菊」レシピ

17年前 娘の友だち・Kちゃんは鳥の照り焼きと野菜中心メニューの中で とびきり地味な”菊の酢の物”を黙々食べてました。

 

当時我が家には 親元から離れて暮らす息子・娘の学校友人たちが頻繁に泊まりに来ていたので 一緒に食べる食事はおもてなし料理というよりは お腹一杯食べる家庭料理が主でした。

 

Kちゃんが遊びに来るその日 仕事帰りに寄ったデパ地下で食料を調達中 目に止まったのが 札幌では見かけることが皆無の山形名産「もって菊」バック。 

食用菊1パック500円は高いけれど 故郷の宮城で食した懐かしい味が恋しくて自分用に2パック買いました。

 

今どきの女の子の娘とKちゃんにはサラダを用意していたと思うのですが 無口なKちゃんが中鉢の”菊の酢の物”を興味深げに見てたので 

~~昔山形のお殿様がひなびた農村で道に迷い その家の者がお殿様に食事を出すことになりました。

貧しい村には高価な食材は無く 自分たちが食べている庭にあった”菊の花を酢の物”にして出したら たいそうお殿様は気に入られて「こんな美味しいものを お前たちが食べているのはもってのほか」と言ったとか言わないとかで 以来「もって菊」と言われている。~~の講釈付きでKちゃんに食べて貰ったのです。

 

その後Kちゃんは 札幌を離れて東京の会社に就職して ママになっています。

ママKちゃんが言うには 季節になれば東京の八百屋さんには「もって菊」パックが出回るらしく 見かける度に 娘に「あのときの”菊の酢の物”の味が忘れられない。だけど食べ方を知らない!!」と言って来る。と聞いてました。

「私のレシピで良いなら 教えるよ」と言っていたら 先日娘のLineに「もって菊」レシピのオーダーが入りました。

 

超簡単な~~「もって菊レシピ」~~

花芯は苦いので 周りの花びらのみ千切って食べる。

コキコキ食感は残したいので 熱湯に花びらを入れて直ぐ引き揚げる。

または熱湯を注いでかける程度で軽く絞り 30分位程 三杯酢に浸して食べる。

 

※私の場合 

菊の花びらの水っぽさを避けて 熱湯の鍋に酢を少々を入れてから茹でる。     

氏神神社境内に 家族全員集合

      

              2021・1・10の彩雲

 

 毎年我が家の正月は 家族全員で正月膳を囲んだ後 皆で氏神神社に初詣に行ってます。

今年はコロナ禍による人混みを避け ”初詣は10日11時 氏神神社に集合して参拝”と 年末に日時の変更を決めていたので 元旦はのんびり。

 

近場に住んでるとはいえ別世帯3家族が わざわざ境内に集まって初詣をするのは 我が家なりの”ミッション”があるからなのですが。

 

家族縁の薄い夫と 遠方から嫁いで縁者のない私とが夫婦となり 2人の子どもが生まれて 当時流行った正真正銘の「核家族になりました。

子どもたちが成長した頃 やがて社会人になって巣立って行くと思い 境内の御神木前で「私たち夫婦と子ども2人の4人」が並び ”家族写真”を撮ったのが最初でした。

家族皆が揃った年もあるし揃わない年もあったのですが 子どもたちが各々結婚してもパートナーたちは共に初詣をして 御神木前での家族写真にも納まってくれました。

早くに両親を亡くした夫は 新年の家族写真を焼き増して ”家族の記念”にと子ども世帯にも配ります。

 

長男夫婦に初孫・花ちゃんが生まれた半年後の正月は 厳寒のため母子欠席の家族写真でした。 

昨年長女夫婦は 生後3か月の雪ちゃんをママコートに抱いて参加したのですが 雪ちゃんは埋もれてて帽子だけが映ってました。

今年は コロナ世情なので「こんな年もあるさ!!」とマスク着用の家族写真でした。

 

私たち夫婦の”核”が 40年かけてようやく8人まで増えました。

家族の繋がりと 日々の営みが滞りなくできることに感謝していたら 空に見事な彩雲が出現しました。。。

 

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自立した家と畑 2021年

「孤立した家と畑」                                          

※ 孤立した家と畑の文章は 2011・3・21 AM4:00 私が天界より受信したメッセージです。

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①今視ているこのビジョンは 2011年3月11日 M9・0の巨大地震から何年後かの東北・三陸沿岸部なのだろうか。
私の意識は 速度の遅い飛行機から地上を俯瞰している。

赤茶色のぱさついた土地が 眼下に広がっている。
私の視線は、ゆっくり移動する。

広大な土地の中に、孤立した一軒の家がある。
家の隣には、わずかな畑と田んぼがある。

その先に視線を進めると、畑と田んぼを耕している同じように孤立した家がある。
良く見ると家々が点在していた。


果たしてその家に住む者達は、離れた土地に住んでいる 他の住民の存在に気づいているのだろうか。と思う私。

自分達が食べる食糧や農作物を 自給自足する者だけが、この地に住むことが許されているのだろうか。
孤独に耐えて生き行ける者だけが、この地で暮らせるのだろうか。

後々には、自分達が必要とする糧以外にプラスαの食糧を得て、同じように孤立する他の家に必要な物を歩いて交換しに行ける。そんな健康的な体の持ち主が、この地に永く住むのだろうか。

「必要な物とは何か?」と問う私に、隣いる説明役の神様が、「当面は 暮らしの中で通貨を遣わず 自分に必要なものを物々交換をして得るもの。それができる社会と言う意味だ。」と教えてくれた。


土を耕すことが得意な者。

物作りの得意な者。

魚を捕るのが得意な者etc

 

それぞれの得意な者たちが行う"知恵と技の交換"という意味なのだろう。
パーマアグリカルチャーと言ったのだろうか。
どこかで聞いたような気がするけど、私にはこの辺りの知識は皆無だ。

高次元の方々は、この被災した地を復活させるつもりはないと言う。
あるのは、「再生の道のみ」と言う。

②突然場面は変わった。
医療設備が整った診察室のようだ。
しかし、その場に医師の姿は見えない。

この地に住むことを許された自給自足の者たちは、土地の片隅に薬草を植え、病気や怪我から我が身を守るために 薬草の知恵を身につけて施術している。

 

それができる者が、この地に子孫を残すことになるだろう。

 

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あとがき 

 

2020年4月18日 新型コロナウイルス感染による”緊急事態宣言”発令時に公開した文を 年頭にあたりタイトルを変更して再度UPしました。

 

10年前の東日本大震災当時 驚愕と混乱のさ中で疲労困憊した私に 神様たちは躊躇することなく連日メッセージを伝えてきました。

上記のメッセージは 被災した父親の生存確認ができた1週間後 寝ている私を揺り起こして伝えらてきたもので 煩雑に紛れて忘れぬよう必死に備忘録に記しました。

 

今回の件で守護神様に「神と意」をすると 

「神々の人間に対する営みへの想いは不変だが 人の世の事情が当時とは違って来ている。

土地に人が集まる今は その中での自立・自助が大事だ。

神々が託したメッセージを 時代に合わせたタイトルに変え 何度でも伝えてくれ。

その都度”タイトル”は聴いてくれ。 その都度応える」

と言われました。

  

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2021年 謹賀新年

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 明けましておめでとうございます。

 

 昨年は 思いがけないコロナウイルスの拡大で 世界中の人たちの生活が大きく変化しました。

新しい年が 素晴らしい一年でありますように。

 

東日本大地震で町が消滅し 日常が簡単に切り取られる経験をし 震度5強地震後の 電力遮断で ライフラインが機能停止した体験もしました。

そこから得た学びを活かし 自分の価値観と共鳴する人たちと関わって行けたらと思います。

 

今年もブログ「虹の旅人」を 宜しくお願いいたします。                        2021年 元旦

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2020年番外編「天使が遊ぶ庭」の木工作業

 

 暑い夏 庭に出られなくなった私が 車庫で行っていたのが 久しぶりの木工作業。

我が家は雪国特有の半地下住宅で 通常よりベランダ位置が高く ベランダ下に肥料や園芸道具を置けるのですが 置いたものが丸見え状態となり 見栄えが良くありません。

かと言って 冬場は雪捨て場にもなる庭なので 雪降る前に取り外して 春にまた設置ができる着脱可能な「目隠しフェンス」を探してました。

一応「目隠しフェンス」と言いつつ 設置は私一人の労力と手間になるので 軽くて閉そく感が無い 冬の収納がコンパクトなもの。

毎年メンテナンスをしなくても済むものが条件です。

 

要は 舞台の大道具のような”目隠しフェンス”を望んで 3年間探したのですが 中々見つからず それなら自分で図面を引いて作った方が早いとなったのです。

9ミリ厚の間伐松材を大型DYI店で購入し 塗るペンキ色は 庭の土色に合わせて 各色のペンキを混ぜたオリジナル色。

薄めの下塗りペンキが乾いてから 重ねて本塗りを二度。 

その上からペンキ劣化防止で 透明ニスも二度塗り。

ビス打ちやL字金具・蝶番も図面通りに取り付けて 大小4枚のパネルを使い易いように組み合わせて使います。

 左側パネル 右30㎝を開閉式に。

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 62歳のときに 「年を重ねて行く私が 庭を眺めて楽しい一日を過ごせたら良いな!!」と思い 自分の居場所を一人で作った2年後の今年は コロナウイルスに振り回された一年でした。

 

国レベルの外出自粛宣言が出され 否が応でも近場で過ごす生活環境となりました。

そんな大変な時期に 庭の土をいじり たまに空をみあげて雲を追う 静かな生活を当たり前に受け入れて暮らしました。

 

ある秋の日の夕方 愛猫・黒猫りぃちゃん(14歳・♀)と庭の手入れしていると 通りがかったお母さんと小さな女の子が 「魔女のお庭みたいだね!!」と ささやいて行きましたww

私の孫たちが庭で楽しく遊ぶように 沢山の天使たちが遊びに来ることを願い 来年も庭作業に励みます。

来年も宜しくお願いいたします。

 

~~小さな宿根草庭に「天使が遊ぶ庭」と名付けた理由~~

私の生家は代々霊能家系で 祖母は三陸の町で 神様の言葉を降ろして人々に伝えてましした。
その町は2011年3月に壊滅し 2018年に 震災で半壊していた生家は更地に。
 
その頃には 自分にも”神様と対話する能力が 備わっている”と自覚していた私は 生家の神様を祀っていた”大きな祭壇”が失われることを案じて 守護神様に”神と意”をしたのです。
 
するといつもの守護神様が
「形あるものは受け継がず 形の無いものを受け継げ!!」と伝えてくれたのです。
 
それなら生粋の能力を活かして 北海道の自宅庭で神様や龍神と対話することを受け継いで 暮らそう!!」考えて
「どんな庭にしたら 神様がお立ち寄りになりますか」と訊ねると 上の方から「天使がーーー庭」と聴こえました。
よく聴きとれ無かったので 「天使が遊びに来る庭ですか?」と聴き返すと 苛立った守護神様の声で 再びぶっ!!」と 聴き取れなった箇所だけの訂正が入りました。
そういう訳で 案内役の天使が遊ぶような庭であればおのず・・・との神様の意図を汲み『天使が遊ぶ庭と名付けました。 

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