虹の旅人

2011年3月11日 故郷が壊滅。 人生はNext Stageへ

母の日のサプライズ紫陽花が ミラクルを呼んだ

 

  5月9日の母の日を前にして 我が家の子どもたち〈長男・長女)は子育て世代なので 週末は各々の家の予定がから 来訪はないと思ってました。 

事前に娘からは 「母の日に何か欲しい」と訊かれて 「クレマチスの苗」が欲しかったので 7日(金)に大型花屋店に一緒に行き 私が選んだ薄紫とピンクのクレマチス鉢を プレゼントしてくれました。

 

買い物も済み 花好き母娘が紫陽花売り場を眺めていると 2人同時に「素敵な紫陽花~!!」と見惚れたのが 日本髪に飾る花簪の”つまみ細工”状に咲く ”万華鏡”という新種の薄紫色紫陽花。

娘はその場で「万華鏡」について検索し 「来年の母の日は この紫陽花を買ってあげるね!!」なんて言ってくれました。

因みに私が最初に選んだクレマチスも薄紫で 見惚れた万華鏡紫陽花も同じく薄紫色。 

 

 

翌日の私の脳内には薄紫色残像がチラつき インテリア業の接客があるというのに 薄紫色のアンサンブルニットに 同色系の腕時計を身付け 追加で羽おりコートも青紫色を重ねるという まるで”紫陽花擬人化”服装となりました。

妙な色合わせコーディ服で仕事を終え 7時過ぎに帰宅したけど インターフォンの記録画像に”花束を抱えた人”が映っていたのですが 心当たりがないのでそのままスル~。

 

「母の日」当日 近くに住む息子から「花 届いた?」のメールがありました。

何のことかと訊けば「俺 母の日の花を贈っている。 留守の際は 車庫に置いてくれと伝えてある」と言うのです。

 

そうだとしても 花は届いてないし 不在票も入っていないし 車庫に行きたくてもその日札幌は大雨警報が出ていて 外にでるのにためらいがあります。

小降りになった頃車庫に行くと 薄紫色の紫陽花鉢が 夫の愛車に倒されることも無く 隅の方にポツンとありました。

 

そこに置かれていた紫陽花はまぎれも無く 前日見惚れた「万華鏡の鉢!!」

 

嬉しさと驚きで息子にお礼を言い 娘に兄から「あの紫陽花の万華鏡が贈られた!!」と知らせると 「母が兄に おねだりしたからでしょう」と言われる始末。

「偶然 偶然 本当に偶然!!」と知ると 娘は更に驚いて 数ある紫陽花の中で 「兄はよくぞ あの万華鏡の花種を選んだものだ!!」と 兄のはずの息子を「でかした」と褒めてました。

 

花に全く興味の無い息子が 母の日に花を贈るだけでもサプライズで 確か娘とクレマチスを買いに行った日に 母の日用の花を選んでいる男の子を見かけて「こんな男の子もいるんだ」と 私は羨まし気に眺めてました。

 

家族Lineの「万華鏡紫陽花」の話題が落ち着いた頃 自分も親となった息子が 紫陽花・万華鏡の花言葉が「~辛抱強い愛情~なんだ」と投稿。。。

 

いづれにしても察知能力なのか 同調周波数なのか テレパシーなのか 我が家らしい母の日のミラクルエピソードでした。

敬愛の花人・紫竹おばあちゃんを偲んで

5月4日に 北海道・帯広の観光庭園「紫竹ガーデン」を作った 紫竹昭葉(本名・昭代 1927生)さんが  94歳で亡くなりました。

ご主人を亡くした63歳ごろから 悲しみを越えて 自分らしく生きたいと郊外の牧草地を買い取って 庭園作りを始めて2年後の1992年には「紫竹ガーデン」を開園。

 

15・6年前 道内テレビの特集番組で 広大な土地に一人で花畑を作ったおばあちゃんとして紹介され 「北海道にも ターシャ・テューダーさんみたいな人がいるんだ」が最初の印象でした。

 

その後いろんな所で 紫竹ガーデンや 紫竹おばあちゃんのことが取り上げられたのですが 同じ北海道に住んでいても 札幌から帯広は遠く 帯広から少し離れた「紫竹ガーデン」は更に遠く 中々機会が訪れず ”いつかお会いしたい!!”と願うだけでした。

 

しかし 2012年の9月16日 その日が来たのです。

どこよりも先駆けて大手ツアー会社が オープン直後の「北海道ガーデンショーと十勝ガーデン街道めぐり」のバスツアーを企画してくれたのです。 

その日程表には もちろん「紫竹ガーデン」が入ってました。

 

台風による悪天候で ツアーが中止になるかもしれないと前日に ツアー会社から連絡があっったのですが 天候支障が無かった別方角ツアーは 当日朝雨のため中止で 出発時に晴れていた私たちのツアーは決行。

結局 雨の中4時間バスに乗り続けて到着してみれば 雨が上がってして広いガーデンショー会場を見学している間に 雨に当たることはありませんでした。

次の目的地に向かうためバスに乗り込んだ瞬間 ザーッと大粒の雨が降る現象が 何度か繰り返された不思議旅でした。

午後の予定場所の「紫竹ガーデン」に着くころ ようやくお日様が出て来てました。 

沢山のダリアが綺麗に咲く紫竹ガーデンでは いつもは園内にいると言われる紫竹おばあちゃんの姿を お見かけできませんでした。

 

バスの出発時間が来て 「紫竹おばあちゃんに お会いしたかった」と私が残念がっていると 動きだしたバスが止まったのです。

見るとそこには紫竹おばあちゃんが立って居て 「いつもお世話になっているツアー会社の添乗員さんが お客さんを案内している。と聞いたから 挨拶に来た」と言って 車内に入ってきたのです。

周りの乗客の人たちは何のリアクションも無く 唯一私の願いを知る夫が 紫竹おばあちゃんに撮影許可を頂いて 「一緒に写真を撮ってあげるから 並んで・・・ 」と私を促すのですが 

「なんともオシャレで可愛い お年を召した”花の妖精”が近くにいる」。

そんな感覚がして 気後れをした私は隣に並ぶことができませんでした。

 

「せめて写真だけでも」とお願いして 撮らせてもらった唯一の写真です。

娘さんたちがヨーロッパで買って来たお土産の綺麗な柄のTシャツに 明るいマーブル色のパンツ そしてお花の帽子。

 

生まれた家と家族を手放した私が 61歳から 独りで小さな庭に花を植え始めた先には

後に観光庭園として地域に貢献した 女性花人「紫竹のおばあちゃん」への憧れがありました。

土に触って汚すからと古い服を着るのではなく 北国の逞しくて美しい花には 自分も華やかに装って対峙することを教えられました。

 

紫竹おばあちゃんが亡くなったその日 いつも通りに庭に出て いつものように花の手入れをして 庭を訪れる小鳥たちに餌を与えようと 右手にコリアンダーの苗 左手に小鳥用のパン屑を握っていたとのこと。。。

 

紫竹のおばあちゃんの魂が この世を離れたとき 小鳥たちが囀り 多くの可愛い天使たちがお迎えに現れたことと思います。

                            

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今年の札幌の桜は 静かな満開

本州の桜が1ヵ月以上前に 満開の時期を終えても 札幌の桜の開花は 例年GW前後。 今年の開花予報は 4月22日だったのですが 思ったより日中の気温が上がらず 私の住む郊外では 大きく予報が外れて その頃まだ三部咲き。

f:id:nijinoringo:20210503222427j:plain     4月25日

 

5月に入っても青空がのぞかず 冷たい雨や風の肌寒い日が続いたのですが 桜好きの私は 散歩ついでに桜観察をして 知人に「桜画像」を届けてました。 f:id:nijinoringo:20210503221152j:plain

f:id:nijinoringo:20210503221347j:plain        4月28日

 

 今年は特に寒かったし 市内のコロナ感染者がまたか増加している最中なので 外出を控えている年上の友人たちが 私の「桜情報」を喜んでくれました。

 

来年こそ 青空の元で咲く満開の桜を 気兼ね無く楽しみたいものです。 f:id:nijinoringo:20210503221457j:plain    5月1日

 

 

テレビを 40型からハイセンス55型に買い替えました

4月20日 夕食を摂りながらテレビを観ていたら 突然画面右側に縦ストライプが入るようになりました。

思い起こせば 指名買いしたシャープ40型アクオス・亀山モデルは 12年前に購入したもの。

同時に買ったビデオデッキは とうにガタが来ていて時間の問題でした。

 

子どもの頃「町の電気屋さん」に憧れていた夫は 「明日 もう一度電源を入れ直して 再点検する」と言ったものの 朝には5㎝巾だった縦ストライブが 右側全体に広がってました。

修理を諦め 別室に置いていた32型のテレビ(シャープ)を 代替えテレビとして設置していると 何を察知したのかそのとき電話をかけて来たのが「家電業界の回し者と揶揄するフリーランス業の我が息子。

ことの次第を話せば 自分の家では 昨年2月のコロナ外出制限直後 65型テレビに買い替えをして 動画やゲーム・カラオケを楽しんでいるし 家族写真までテレビで鑑賞していると言いました。

息子は本来の仕事を後回しにして 初老の両親に「今どきのテレビ事情と選び方」を説明するために イソイソと馳せ参じました。 

しまいには 「今やテレビは50型以上。 電器屋じゃなくネットで買う時代だよ」と のたまう始末。。。

 

前の日の夜突然 テレビが壊れて困っている私たちが 昼過ぎには「何故にいきなり 40型から55型テレビを 実物も見ずにネットで買わなきゃならないの??」となりました。

これが息子じゃなかったら 「この男は 新たなネット家電業界の回し者」と思われるような講釈で そのまま半信半疑の両親を近くの大型家電に連れて行き 売り場の店員さんの説明で 国産メーカーの高価格と出回りサイズの理由を納得できるよう段取ったのです。

前回テレビを買った12年前から 家電業界は 国産産業とてしのメーカーブランドも大きく様変わりしていて あの会社が大型テレビを開発していたの。という感じでした。

 

テレビ業界と機能の情報量が増え過ぎて ここは一旦頭を冷やそうと 自宅で代替えテレビ32型を見やれば 老眼の進んだ目と聴力が低下した耳には 画像は遠くに見え 音量もくぐもって聞こえて テレビを観る楽しみが半減してました。

 

この先の老後生活では 局の番組を観るというよりは テレビ画面で好きな映画や録画鑑賞をする機会が多くなるだろうし その時間の楽しみを知った以上 ツールとしてもテレビを失うことは無いだろう。

今回のコロナ禍のように外出制限が出たりすれば 家中で過ごす時間が更に多くなるかもしれない。そんなことも考慮しました。

 

テレビが壊れた翌日の夕方には GWに入れば配送業務も滞ると夫を急き立てて Amazonで 「ハイセンス55型とハードディスクを配送無料・取り付け・回収・引き取り付き」で注文。 

 

一週間後に配達されて取り付けも無事済めば テレビ画面は大きく 今まで使っていたテレビ台への納まりがどうにも具合が悪いので スタンド型のテレビ台も検討中。

 

ビデオデッキに入ったままのお宝映像もそのままで 一気にスマート化された4K55型のテレビ画面は 私たちには明るすぎたり 音量が高品質すぎたりで その都度取説片手に四苦八苦しながら 自分たち用お好みテレビにするために調整中です。

 

f:id:nijinoringo:20210430222138j:plain   32型と40型 旧テレビ

f:id:nijinoringo:20210430222212j:plain  55型新テレビ

 

 

 

定山渓温泉 ぬくもりの宿 ふる川

現在札幌のコロナ感染は増加気味ですが 私が札幌から1時間弱の奥座敷定山渓温泉「ふる川」に宿泊したのは 感染者数が減少した頃 市民向けに「どこでも定山渓クーポン」が発行された直後。

老愛猫のりぃちゃん(15歳♀)がいるから 私たち夫婦が温泉宿泊するのは 無理だろうと諦めていたら 娘夫婦が「我が家に泊まって りぃちゃんを面倒みるから 行っておいで」と背中を押してくれました。

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念願の「ぬくもりの宿 ふる川は」では 夕食の春の味を先取した 至れり尽くせりの懐石料理を堪能。 

朝食は今どき珍しい 料理人手作りの和食バイキングで もちろんコロナ対策も万全で 宿泊客は食事場所でも手袋・マスクは必須着用。 f:id:nijinoringo:20210420215219j:plain f:id:nijinoringo:20210420215247j:plain f:id:nijinoringo:20210420215318j:plain f:id:nijinoringo:20210420215343j:plain f:id:nijinoringo:20210420215445j:plain f:id:nijinoringo:20210420215518j:plain 

 

食事だけでも充分満足できたけど お風呂上りや夕食後に寛ぐランジングも充実していて ゆったりした時間を過ごせました。

 

私個人の贅沢時間は 女露天風呂でもそうだったし ”開祖・美泉定山”が湯守した壱の湯を再現した”ゆ瞑み”でも 誰にも会うこと無く貸し切り状態で入浴できたこと。

また「ふる川」に泊まりたいから 毎日を頑張ろう。

「ふる川」が出迎えてくれるから また気分転換に来よう。と思いました。

 

 

結婚42年日にして初めての家出から その後

 前回の続き。

一応最後まで添い遂げるつもりでいた夫が あまりにも身勝手な言い分を通すので 「もういいな!!」と 私の”我慢の糸”が プツンと音を切れて 3泊4日の家出を決行。

元から趣味も価値観の違う夫婦と思っていたので その辺は今更とやかく思わないのですが。 ただ 同じ年月を重ねた妻の疲労を労わることもせず 自分の言い分を曲げられない老いた夫に呆れました。

家出の間 一度も連絡をすることがなかった私は 夫に対する自分の気持ちにも気づいたのですが ひとまず夫の留守を狙って着替えを取りに行きました。 戻った家には 私が居なくなった夜から情緒不安定になった老飼い猫・りぃちゃん(15歳♀)のゲボ臭が充満していて その中に夫がポツンと居ました。

仕方なく急遽新しいカーペットを買い 夫婦で居間に敷き直しているうちに しっかりお詫びの言葉を貰った私は 何となく自宅に戻っていたのです。

 

年月とは不思議なもので 日常的な会話がなくても 日々の暮しに困ることもなく過ごせます。 ツーンとした空気感で 1週間程過ごした結婚記念日の前日。

どこかで誰かが 私たち夫婦の気づまりな様子を見ていたようで 「これではいかん!!」とばかりに 夫側にも私側にも援護射撃の連絡がそちこちから届きました。

その結果 私が夫に懸念していた事柄が見事に払しょくされ 私の怒りも同世代の夫婦なら良くあること。と 親友が教えてくれました。

 

結婚42年日にして 初めての家出

 毎年4月7日の結婚記念日を迎える度に 趣味も価値観も違う私たち夫婦が 「よくここまで持ち堪えているな」の感慨に浸ります。

しかし今年41年目記念日を目前にした3月27日の夜 「世の中 何が起きるか解らない」ことが 私の身に起きたのです。

 

その日は 気を使う仕事相手との交渉をどうにか納めて スーパーに寄って7時半過ぎに帰宅して 遅い夕食を夫婦で摂りました。

夫は毎晩晩酌をするので 早いピッチでお酒を飲んでいたのですが 仕事に疲れた私は会話をすることも無く 上の空で食事を。

ソロソロ就寝の準備をしようとした矢先 70歳近くになってめっきりお酒が弱くなった夫が 些細なことを言い出してつまらない口論になりました。

「今日は ここまで」と止めても 激高した夫は聞き入れず 終いには「あんたが悪いから こうなった!!」と言い募ったのです。

一応 これまで連れ添った縁で 夫とは最後まで添い遂げるつもりでいたのですが 身勝手な言い分を聞いてるうちに 「もういいな!!」と 私の右頭に付いていた”我慢の糸”が プツンと音を立てて切れました。

 

それからが早かった。

機内持ち込み可能な旅行鞄に 着替え・PC・通帳・スマホバッテリーをぶち込んで

軍資金が足りないときの換金用にと ブランド腕時計とダイヤネックレスも追加して 祀っている神様と夫に挨拶を済まし 30分後の夜10時には 家を出てました。

 

子どもたちが近くに住んでいても 幼い子どもがいる家庭に 夫婦喧嘩をした親が夜遅くに行って「泊めてくれ」と言うつもりは無いし その夜の私には 夫の仕打ちを改めて口にする気力も体力も 残っていませんでした。

まさか自分が家を出て 市内のホテルに泊まるとは思ってもいない展開ですが ホテル泊は出張で慣れてます。

コロナ禍で 市内のホテルには空室は多いだろうしと この際だから休養を兼ねて お高めホテルでクールダウンするつもりが 寝る前の準備中だった私は スッピンのまま家を飛び出してました。

マスクをしているとはいえ 60歳過ぎの女が ガラガラ鞄を引いて夜の町を歩けば訝しがられるのは必須。

「落ち着け私!!」と冷静になり その晩は近場のホテルにチェクイン。

42年の年月が 小さな旅行鞄にずいぶんコンパクトに納まったものだと思ったものの 置いて来たものへの未練も 過ぎた日々への思い入れも全く湧いて来ず さっさと眠りに就きました。

 

朝起きてよくよく考えれば 前々日の26日夕方札幌市には コロナ感染による外出自粛制限が出ていて 春休みの最終日曜日に 人の多い市内中心部に近づくのは得策では無く ましてや飛行機や列車での移動はもっての他で その上その日の予想気温は 3月にしては異常に高い18度。

なのに前日の夜9時過ぎ 私が急いで用意した旅の着替え服は 全て冬仕様。

 

短気は損気と仕切り直して作戦変更し モスバーガーを手土産に休日のまったり気分の娘宅に押し掛け その晩はお世話になりました。

翌日は 年度末の仕事に追われる息子夫婦宅に 「たまには母親が 迷惑かけても良いだろう」と 初泊まり。

どう思われようと私には 育てた子どもたちに 伝えておかなければならいことがあったのです。

 

 気温の高い日が続いて 春物の着替えを取りに 夫の留守を狙って自宅に戻れば ことの重大さを察知した老黒猫・りぃちゃん(15歳)が 私が消えた晩から部屋じゅうにゲボ吐きしたようで匂いが満ちてました。

気温上昇で 更に匂いが増した部屋に 夫はひっそり居ました。

 

3泊4日の家出の間 同じ年月を重ねて来た妻を労わることもせず 自分の言い分を曲げられない夫を 案じる気持ちもなれず 一度も連絡を入れなかった私。

夫は慣れない料理を試みたようで 何本かの指を包丁で傷つけたらしく 絆創膏が貼られてました。

私の心の傷に比べたら 「それくらいの痛みは 仕方ないね」と 見ないふりをしました。。。

 

  

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