虹の旅人

2011年3月11日 故郷が壊滅。 人生はNext Stageへ

「きたきた捕物帖」宮部みゆき著を 読んで

   

 長く予約待ちしていた図書館本の 宮部みゆきさんが生涯書き続けたいと語った「きたきた捕物帖」を読み終えました。

表紙を開いて「あれっ!?」と疑問に思ったのが最初のページに載る古地図。

この地図は予約待ちの間に読んだ 同じく宮部さんの作品「桜ほうさら」上・下本にも載っていた江戸「本所深川」古地図と同じでは・・・と思ったのです。

「きたきた捕物帖」の主人公・北一は 3歳のときに 夕市で母親とはぐれて迷子となり 捨てられたようにそのまま16歳まで 文庫屋の”岡っ引き千吉親分”の元で育てられました。

役者のように良い男で才覚も人望もあった46歳の千吉親分が 馴染みの女宅で自分で作ったフグ鍋に当たり あっさり死んでしまったのです。

千吉親分が引き受けていた”朱房の十手を 本所深川同心の沢井様に返し 文庫屋は一番目の兄弟子が継ぎ 他の兄弟子たちは他所に散りました。

残されたのが 目の見えない千吉親分のおかみさんの若葉と 小柄で髪が薄く髷も結えない身寄りの無い下っ端弟子の北一。

 

北一は 兄弟子嫁に嫌味を言われながらも 評判の良い”朱房の文庫”売りを続けながら 恩義を感じる千吉親分のおかみさんの生活の面倒を 女中のおみつと一緒に手伝うことになりました。

生まれて初めての一人暮らしは 深川の差配人・勘右衛門こと「富勘」の名前が付く「富勘長屋」で かつて親の汚名を晴らすため江戸に出て来た「桜ほうさら」の主人公・古橋笙之介が住んでいた部屋でした。

 

ここでようやく私は この小説の舞台となった場所を理解して「桜ほうさら」の登場人物たちと重なったのです。

実は図書本の内扉には 2つの小説の繋がりを書いた”本の帯”が切り貼られていたのですが 見落としてました。。。

 

十手持ちの岡っ引が不在となった深川の差配人の富勘の元には 色々なもめごとや事件が持ち込まれ 富勘と共に北一は親分の教えを胸に抱き 岡っ引の真似事をして奔走します。

毎日顔を出すうちに 目は見えずとも他の感覚に優れたおかみさんから 捕物の的確なアドバイスを貰ったり 文庫売りの途中で知り合った親切な武家の用人・青海新兵衛様に助けられたりして なんとか事件を解決。

やがて もう一人の”きたさん”と呼ばれる 正体が謎の無口で強い”喜多次”と出逢います。

 喜多次は捕り物中に 行方知れずだった自分の父親の遺骨を 北一が掘り出してくれたことに恩を感じて 捕り物を手伝ってくれるようになります。

この若い二人が 長屋や深川の大人たちに助けられながら捕り物を解決して どう成長して行くかを 宮部さんは「描き続けたい」と語ったのかと思いました。

 

実の母親に 父親の気性と似ているからと愛されなかった「桜ほうさら」の古橋笙之介。

母親に捨てられたような「きたきた捕物帖」の北一。

どちらの主人公も寂しい生い立ちにイジケルことなく ひ弱でもお世話になった人たちに恩義を感じて 素直な心持ちで貧しい日々を懸命に生きます。

その健気な姿に打たれて 人情に篤い江戸・深川の人たちが 暖かな手を差し伸べる様子が 全編を通じて描かれています。

 

昨今 子どもたちの間では どんな親の元に生まれるかは運任せの意で「親ガチャ」の言葉が使われているようですが 例え親を選ぶことはできなくとも その先にある自分の人生をどう生きて行くかは 本人の心持ちであり 世間に育てて貰ううちに 運を掴むことだってできると 思わせてくれる小説です。

5月に出る続編が楽しみです!!

 

我が家の落雪直撃で 娘の車が凹んだ

この冬の札幌は 雪害レベルの降雪が何度もあり 特に1月中旬と2月6日の記録的な大雪の後 私の住む札幌市の郊外は雪壁が高くなり 道幅も狭くなっていました。

おまけに路面はガタガタの雪わだちとなり 業務車でさえ家の前で毎日埋まる状況だったので 子どもたちには「当分実家には近づかないように」と言ってました。

 

2月に入った22日にも40㎝の雪が降ったのですが 孫の顔見たさに初老夫婦が除雪に励んで ようやく車庫前に車一台分の空きスペースを確保しました。

晴れた天気の翌23日午後 久しぶりにと孫の雪ちゃん(2才5か月)を連れてやってきたのは長女。

 

間もなくして”隣家の屋根の雪が落ちた”のが見えて 慌てて娘は車を移動しに行ったときには遅かりし 「ド・ドッドーッ~」の凄い勢いで 我が家の屋根の雪が娘婿の大切な車に直撃。

恐る恐る雪を払ってみると 車の屋根がフレームまで凹んでました。

孫の顔見せ親孝行が裏目に出てしまい 私たちは申し訳ないやら困ったやらの気持ちとは別に 頭の中では”車の修理費算段”にフル稼働。

 

ひとまずは車の持ち主である娘婿に電話で”件の落雪”を報告すると ガッカリされて呆れられたのですが 「任意の個人賠償保険に入っていたら適用になるはず」のアドバイスを貰いました。

早速保険会社に連絡すると「補償される」とのことで一安心したものの その日の札幌市内はかつてない落雪事故が相次ぎ 修理工場での車の修理はいつになるか解らないとのことでした。 

結局 未だに修理ができずに車の屋根は凹んだままですが 本来なら話はそこで無事に終わるはずなのに 終わらなのが我が家なのです・・・。

 

3月16日その日私は 在宅勤務の娘に頼まれて コロナ感染で保育園が休園となった雪ちゃんお守りで娘宅に行ってました。

仕事帰りの夫が 5時半過ぎに私を迎えに寄ってくれて たった3分待たせている間に 積雪2mまで耐えられるはずのカーポートの雪が これまた勢いつけて夫の車のボンネットを直撃。

玄関ドアを開けると 夫は自分の車の写真を撮影中で「何をしているの?」と訝し気に聞けば「今 車に落雪したから雪をどける前に 写真を撮っているとのこと」。

静かに雪をどけると やはりボンネットが少し凹んでました。

 

見送りに出てきた娘夫婦も 「まさか!! こんなことが起きるなんて」唖然としながらも「自分側の個人賠償を使います!!」と 余裕の口調で婿さんがキッパリ。

同じく 夫の車の修理も工場が込み合っていてまだ連絡が来ていません。

 

「夕方の気温が下がる時間帯に落雪なんて!?」とかアレコレ思うのですが 雪が溶けた今だから言える苦い笑い話です。

車は凹んだけれど誰も怪我もせず お互い個人賠償保険に加入していたので出費が無かったのも幸いでした。

 

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野付産 ジャンボホタテが届きました。

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札幌市は この冬まん防により保育園の休園が多く その度に孫預かりをしていた私に長男が「野付産ホタテ」をプレゼントしてくれました。

 

大きな保冷箱には ほたて貝が40枚くらいと北寄貝も10枚入ってましたが 貝殻を剥くのは三陸生まれで「MY貝殻外しステック」を持つ私の得意技。

 

ほたてを見慣れた私でも驚く程 野付産ほたては”貝殻が大きく 中味の貝柱もジャンボで 綺麗なアイボリー色。

焼き用に殻付きを数枚残して 他は貝柱とエラと耳に分けてウロを取り 貴重な食材を余さず食べられるように調理しました。

貝柱は 刺し身・バター焼き・天ブラ用にして エラと耳は甘辛生姜煮に。 

 

早速その日の夕食に 「ほたてと北寄貝の2色刺し身盛り」で食べてみると・・・!!

「野付産ジャンボホタテ」は 身の端々まで凝縮された強い甘味が詰まってました。

更に圧倒されたのは 厳寒の海で育ったからこその”プリップリッ食感”に参りました。

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「ほたて養殖」と言えば 海に貝をぶら下げて沈める方式と思っていたら 野付産のほたては 区分けした海に直接稚貝を撒く「地撒き」する養殖方式で 3年間は自由に動き回らせて成長させているとのこと。

北海道の冷たい海の中で 伸び伸びと3年間動き回るのですから 生命力に溢れた活力あるほたてに育つはずです。

 

「野付産のジャンボ活ホタテ」は 12月~5月まで出荷されるので 今度は自前でおかわり注文配達をお願いするつもりです。 

 

 

深夜に 宮城・福島に震度6強の地震なんて

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 5日前 東日本大地震から11年目の復興した故郷・気仙沼に向けて エールを送ったばかりなのに・・・。

就寝前の11時36分には地震アラームが鳴り 札幌でも揺れを感じて 震源地が東北・福島沖と知りました。

 

テレビ画面に流れる東北各地の震度情報に 独居の父親と連絡が取れなかった11年前の5日間の記憶が甦り 「今は仙台の老人ホームに入所しているから大丈夫」と自分に言い聞かせ 朝になって施設に連絡を入れると94歳の父親は無事とのこと。

停電が朝回復した父の施設では 暖房のない寒い夜を一晩過ごしたようで 老朽化した建物の被害状況はまだ把握していない様子。

遠方からコロナ禍で面会も出来ず 連絡手段を持たない父親の安否を問い合わせる娘の電話に 落ち着いて対応にしてくれたスタッフさんに感謝です。

  

距離を置く 妹家族も無事とのことで一安心。

忙し気な話ぶりから仕事先の物が散乱した所に行く途中に 電話をしたようだった。

 

3年半前の胆振東部地震後のブラックアウト時には 札幌の私が案じて貰い この冬コロナまん防中の災害級の大雪と積雪量に驚かれました。

今回の強い地震で宮城の知人たちは 11年前の恐怖を思い出してました。

自然の天候や災害によって起きるとはいえ その度に生活の基盤も揺らぐ 余震の不安に怯えます。 心配の尽きない日本列島ですが 各々が命を大切に考えて 冷静な判断で行動したいものです。

 

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東日本大震災から11年目の祈り

 

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※ 2011年6月14日 鹿折唐桑駅前

 

 震災後の10年から11年目のこの1年の間 故郷・気仙沼は朝ドラ「おかえりモネ」の舞台にもなり 他の番組でも多く見かけるので 今は”復興した観光地”として売り出しているのかと思います。

 

5年前に同級会で気仙沼に帰ったきりの私は 番組の中で市内の景色が画面に映し出される度にテレビに見入り 生まれ育った鹿折地区が映らないかと目をこらします。

地元の知人ですら町の変貌が激しく 「住んでた場所が解ら無くなった」と嘆く故郷は 北海道に住む私には 本当に知らない町となりました。

 

2011年3月11日に起きたことは 忘れたくても忘れられないことであり 忘れるつもりの無いことですが

在住の札幌で 故郷の震災被害について語ると「もう忘れて 前を向いたら・・・」と 慰めの言葉として言ってくれる人もいるのですが 私はそこに自分との感覚の違いを感じて お付き合いの距離を置いてしまいます。

 

昨年4月に 我が家のテレビもビデオデッキも壊れて 震災発生当時を録画していた画像を失いました。

特に内湾が延焼して鹿折地区が燃える映像等は 衝撃を受ける人たちを考慮してか 以後放映されることはありません。

 

遠くで暮らしていても故郷を思う気持ちは変わらず 年月を経てより強くなってもいますが

新しくなった気仙沼で新しく暮らし始めた人たちを 幸多かれと応援しています。

 

被災後の長い道のりを復興のために奔走して下さった地元の方々 他の土地より気仙沼の復興にご尽力して下さった方々に 多くの方々に感謝致します。

 

改めてあの日 独居の老人の避難説得で逃げ遅れ 車中にて幼い孫2人と58歳で亡くなった従妹の鎮魂を祈ります。

並びに震災で亡くなった多くの方々のご冥福をお祈りいたします。

 

 

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宇宙語を話した雪ちゃんは AIロボットに成長しています。

 1年前の今頃 喃語を話す前に「宇宙語」で私に話しかけて来た孫・雪ちゃん(2才5か月)は思った通り とてもおしゃべりで表情豊かな女の子に育ちました。

 

生後100日が過ぎて雪ちゃんの首が座った冬に 北海道は全国初のコロナによる「緊急事態宣言」を発令。

本来なら世の中を知る最初の時期に 極力外出を控えて 会う人も限られた状況にも関わらず 雪ちゃんは喃語も二語文も三語文もあっさりクリアして 「りぃちゃん(飼い猫)が ねんねしているから しずかにしてあげようね」などと 私たち大人と普通に会話をこなしてます。

 

2才過ぎてから 初めて経験したこと 好奇心が満たされたこと 楽しいと思ったことを 誰かに話したくてしょうがないらしく 何日ぶりかで私に会えば 「ばば!!」「ばば!!」を5回以上連発して 話を聞いてちょうだいとばかりに呼びかけてきます。

私は 雪ちゃんの声や表情を見ているだけでも楽しくて 「赤いお花がきれいだった。オカーたんとね。ばあばが喜ぶから みせたいね。と言ったんだ」など 覚えたての言葉を一生懸命並べて カワイイおしゃべりをしてくれます。

 

ある日 私が台所仕事で忙しかったときに 夫(じじ)に近所の八百屋さんへの買い物を頼みました。

その店は雪ちゃんと仲良しのおじさんがいる店なので 自分も一緒に買い物へ行く気でいたようなのですが 雪が降り出して来て じじは一人で買い物に行ってしまい 雪ちゃんは置いてけぼりに。

とり残された雪ちゃんは部屋の扉の前で 「悲しいな~」とポツリと静かに呟いたのです。

 

思わず長女(雪ちゃんママ)と私は顔を見合わせて 「プログラミングされたばかりの ”AIロボット”が感情を呟いた~!!」とビックリしたのです。

幼いなりに 自分の中から湧き出た感情を 絶妙なタイミングで的確言葉をチョイスして発したのでしょう。

 

これだけ自我が発達していれば いよいよ「魔の3歳児イヤイヤ期」の突入は早いでしょうね。。。。

 

※ 2022・3 お雛様と同じ十二単衣を羽織る雪ちゃん(2才5か月)

 

 

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さよなら「4プラ」 さよなら「ブリックブラッカ」

 市民が「まん防と記録的な大雪」に追われていた1月末日。

札幌繁華街のド真ん中に建つ通称”4プラ”と呼ばれて親しまれていた「4丁目プラザビル」が 老朽化により築50年の幕を閉じました。

 

40年以上前22歳で札幌に嫁いだ私は 札幌の土地勘が全く無かったのに 上野の"赤札堂アブアブ"とも仙台の番町角"大内屋"とも違う 若い子たちが集うワクワクするファッションビルに出会い 7F自由市場の店「ブリックブラック」に通いました。

手が届かぬ宝石鑑定職に就いていた身には 狭い店の周りに ガチャガチャと箱入りされた300~数千円のジャンクアクセサリーの方が求め易く 目利きになったつもりで探すアクセサリー探しが楽しくて 20年くらい通い続けたと思います。

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店内の奥棚には オーナーさんが海外で仕入れただろう名品のお皿やガラス瓶も飾ってあり 当時からパートで勤める同世代のKさんとはアンテーク雑貨や好きなブランド服などの話をしていました。

後半は アクセサリーより店の片隅に置かれた素敵なヨーロピン・アンアンテークレースやリボンが 市内のどこよりも安価でだったので そちらをメインに通ってました。

 

今年の正月が明けて 閉館の噂を聞いたある日の午前中 ダメ元で「ブリックブラック」に電話を入れると あのKさんが声が聞こえて 40年間のお礼を言い その後を訊けば「自分は仕事は辞めること。 商品はオーナーさんが引き上げる」と話してくれました。

 

二度と巡り合えないだろうの年月を経て 日本に渡って来たキラキラ雑貨が 人目に触れずに埋れることを惜みます・・・。

 

あの場所から再び札幌に 新しいファッション文化を発信して欲しいと願っています。 f:id:nijinoringo:20220301223902j:plain

※ キラキラ遺伝を受け継いだ孫の雪ちゃん(12才)のお宝アクセ